ルカ11章5〜13節
@ 祈りを根気よく続けていく心について学びたいと思います。
A さて、創造主訳では、9節において、「求め続けなさい」、「探し続けなさい」、「叩き続け
なさい」と訳されています。それは、文法的に現在形は継続も表しており、続ける状態を表している
からです。それはまた、祈りを根気よく続けるように、というイエス様のお心でもあるのです。
それは、どこまでも主に信頼し、主に求めていく信仰の心を貫くようにと願っておられるからです。
B では、「どこまでも、主に求めていく信仰の姿勢」とはどういうことでしょうか。
私たちの教会は、「求め続けたら、絶対に与えられる。」と証ししていきたいと願っています。
というのは、私たちの教会が、今日まで支えられ続けられていることは奇跡だからです。わずかな
人数でありながら、必要な時には百万単位で与えられたり、時には、千万単位で与えられて支え
られてきました。多くの場合、教会の力は信徒数にあると思っています。それは経済的にも豊かに
なるからです。ですから、信徒数が減少するのを恐れ、一人でも多く留まって欲しいと心を
使います。
しかし、信徒数が多ければ力になるというわけではありません。主、一本で求めていく信仰に立ち、
それを貫こうとする信徒たちであるかどうかが大事なのです。
実際、私たちの教会は、信徒数で言うなら減るばかりでした。
ところが、純粋に、主にのみ依り頼んでいこうとする者たちが残されたことが、大きな力となって
きているのです。ですから私は、牧師たちに大胆に証ししたいと思います。
先ず、リーダーである牧師たちが、主に信頼する心を本気で貫き通していくなら、大きな意味がある
ことを。確かにそう決めて始めていくと、直ぐに試みがやって来ます。食べるものが無いという
ような、家計を直撃する攻撃がやってきます。しかし、どこまでも、どんなことがあっても、主に
求め続けていくなら「まして、天の父は・・」とあるように、必ず主が与え続けてくださるのです。
ただし、伝道者の場合、貯蓄できるほどのお金は与えられないように思います。イエス・キリスト
以外に依り頼むものを持たないためです。主が何とかしてくださる、と言う考えではなく、貯蓄が
何とかしてくれると考え違いしてしまうといけないからです。
「私には生涯創造主がおられる。」という側に立って、「何が何でも、創造主を第一にして従って
いく。」という生き方をしていかねばなりません。
信仰の真髄であるこの心こそ、どこまでも主に求めていく生き方の根底にあるものです。
C 私たちが求め続けていくとき、その期間が長くなるにつれ、「ダメかな・・・」と弱気になる
ときがあります。ところが、そんなときに実現するという皮肉なことが起こってくることもあります。
しかし、一度あきらめると、たとえ与えられたとしても、与えられた本当の喜びがなくなって
しまうのです。
だから、たとい弱気になることがあっても、それでも諦めずに求め続ける中で与えられるなら、
信仰の確信が増してくるでしょう。ですから、祈りは根気よく続けていくべきなのです。それは、
先ず創造主の国と、その義とを第一としていく心です。この一本道が通用することを証しする
のが、クリスチャンの生き方です。そのために、自分を徹底的に否定して(9章23節)、
徹底的に主に仕えていきたい。是非この道を全うしていきましょう。 |
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