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2011年 NO.377

                       
                           
『客観的倫理観の出所は?




創造主の存在を示す根拠の1つに、客観的倫理観があります。

この客観的倫理観とは、個人の主義・主張とは別に、誰しもが正当であると認めている

道徳的価値観のことです。

この論理観は、「罪のない子供を殺すことは間違っている。」とか、

「強姦は社会的な罪で邪悪である。」又、「愛や平等、自己犠牲は、客観的に見て善であり、

益である。」と判断するものです。

人間は、みんな心の奥底では、善悪をちゃんと理解していますし、その事実を認めています。

ところが、神のいない進化論に立った場合、弱肉強食が進化の適応力とされ、自然界の偶然の

産物にすぎない人間に、客観的な倫理観などあり得ず、良し悪しは単なる個人の趣味や嗜好と

何ら変わりません。

例えば、「強姦が悪だと言っても、動物の世界では日常的なことであり、種の保存のために

必要だ。」と主張したら、それで終りです。神が存在しない世界では、強姦が悪だと決めつける

根拠はないのです。

しかしながら、普通の人間なら、強姦や児童の虐待をすれば、許されない邪悪な行為だと、

客観的に判断が下されます。

どうして、みんなが正当であると認める道徳的価値観を持っているのでしょうか。

もし創造主がいなければ、客観的倫理観も存在しません。

すなわち
、私たちの心の奥底にある客観的な倫理観は、神のいない進化論からは生まれません。

この
倫理観の存在こそ、創造主の存在を証ししているのです。





                           


     
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