教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2011年3月20日



自発的な主を仰ぐ心


ヨハネ黙示録1章1〜8節




  

@ 今朝は、自発的な信仰(主を仰ぐ心)について学びたいと思います。

A さて、私たちは今日から、神を創造主(つくりぬし)と訳した口語訳聖書で

学び始めました。読み始めてみると、創造主は絶対主であるという印象が素直に心の中に

入ってきます。

すると、
私たちの信じるお方が、創造主であり、全能者であり、天地万物の権威者であり、

オールマイティなお方であることが分って嬉しくなります。

この創造主が、先ず黙示をキリストに与え、キリストが御使いによって、ヨハネに与えました。

即ち、創造主は、権威を持っておられるトップの方なのです。

だから、私たちは、いつもこの方を仰いで行けばいいのだと平安になります。


B では、ピレモン書を通して具体的に主を仰ぐ信仰とは、どういうことか見て行きたいと

思います。
この書は、パウロがクリスチャンであり、同労者であるピレモンに、

オネシモについて書いた手紙です。このオネシモは、パウロがローマの獄中で生んだ子でした。

ところが、このオネシモは、元々ピレモンの奴隷でした。しかし、オネシモはピレモンから

逃げ出してローマに行き、そこでパウロと出会って回心したのです。

そしてその時から、オネシモは、パウロに良く仕えて役立つ者となっていました。

しかしパウロは、彼がピレモンの許から逃げてきた奴隷であることを知り、主人である

ピレモンの所に返そうとしたのです。本来ならパウロは、ピレモンを導いた恩人として、

堂々とピレモンから受けとって、自分に仕える者として手元に置いておくことも出来ました。

しかし、それは、強制されてするのではなく、自発的なものであって欲しいと願ったのです。

一般的な人間は、いつも自分の損得を考え、自分の都合のいいことを考えます。

もちろん、パウロにとってもオネシモは、手放したくない存在でした。

しかしパウロは、人間的な計算高さで行動する人ではありませんでした。

彼は、いつもイエス・キリストを通して全能主からの判断を考える人でした。

もし自分の計算で事を始めるなら、最後まで自分の力で解決しなければなりません。

しかし、全能主に頼るなら、全能主が責任を取り解決してくださるのです。

ですから、パウロは、全能主がピレモンにどのように働き導いてくださるのかを

委ねたのです。またピレモン自身が、強制されてではなく、自発的に信仰を働かせて

決断していく事を願ったのです。
この
自発的な信仰を主は願っておられるからです。

C 「寄らば大樹の陰」という言葉があります。この考えは、「力を持っている人に寄り

添って、自分を守って行きたい」という心を表現しています。

しかし、いつも人に依存して生きていたら、その人がいなくなったら生きていけません。

多くのクリスチャンは、何か問題が起こると、すぐに牧師に頼り、牧師からの慰めをもとめて、

あたかも問題の解決をしたかのように錯覚しがちです。しかし、牧師は、その様な人に自立した

信仰を引き出そうとして、あえて突っぱねもします。もしその人に信仰があるなら、

「直接イエス様に頼り、問題を解決できる。」はずですから。私たちは人に頼るのではなく、

直接創造主に結びつくことが大切です。そうすれば、信仰は自発的なものとなって

いくでしょう。


すると、人間的な判断は、影を潜めていきます。パウロさんは、その信仰姿勢をピレモンに

分かってもらいたかったのです。
私達もまっすぐに主を仰ぎ、自発的な信仰に立って

従って行きましょう。

                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室