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2011年12月18日




『キリストに焦点を合わせて』


Tテサロニケ5章1〜11節




  

@ 「イエス・キリストに焦点を合わせた生き方」、について学びたいと思います。

A さて、テサロニケの教会の特徴は、聞いた福音を一生懸命宣べ伝えて行った教会です。

しかし、その為に同胞から迫害を受け、苦しみを受けるようになりました。

しかし、迫害を受けながらも、彼らの熱心な働きは、他の町の人々によって証しされていきました。

この福音は地獄の裁きからの救いなので、本来なら喜んで聞ける有り難い話です。

ところが、
一生懸命伝道すればするほど、困難がやってくるのです。なぜなら、それを嫌う、妨げの

霊の勢力が、聞く人たちの心に働いて、人々を救いから遠ざけ、感情的にさせるからです。実に、

私たちの戦いは血肉のものではなく悪霊との戦いです。ですから私たちは、目覚めていても眠って

いても、キリストのために戦っていく者です。


B では、キリストと共に生きていく生き方について、考えてみましょう。

先ず、私たちの周りに目を向けていくなら、世界は不思議で満ちています。たとえば、光は、

「波の性質」を持っているのに、その反対の性質である「粒の性質」もあるのです。これらの世界の

不思議をどのように理解すればいいのでしょうか?すなわち、宇宙や原子というマクロとミクロの

世界、そして私たちの体も、分からないものだらけです。

ところが、この不確定な世界でありながら、秩序がきちんと存在するのは、なぜでしょう。それは、

全てのものを秩序を以って創造された知恵ある創造主がおられるからです。私たち人間は、この方の

知恵に太刀打ちできません。ですから、
人間は、自分の知恵を誇るのではなく、この方に目を

向けて、この方に在って考えるべきなのです。
そうすると、どうなるのでしょう。

福音という良い知らせを伝えていることによって迫害を受ける生き方は、この世の価値観では、

一番貧乏くじを引いた生き方と思われるでしょう。しかし、創造主に価値観を置いてみるならば、

キリストの故に受ける患難をも喜ぶことが出来るのです。万物を支配する創造主が、すべてを清算

されるときが来るからです。

 ですから、創造主の御前に在って無駄な苦しみも、無駄な労苦もありません。眠っているときも

無駄はないのです。その清算のときである主の日は、「夜中の盗人のように来る」と、パウロは

語っています。その日は、誰にも分からないような時期に起こってくるのです。

しかし、主イエス・キリストに目を向けている者たちは、暗闇の中にいませんから、不意に来る

ということはありません。というのは、苦難の前に天に引き上げられると考えている人々は、

みな安心して眠ってしまいます
が、私たちは、反キリスト(不法の者)が、患難時代のど真ん中に

来る事を御言を通して確信していますので、その時を注意し、一心に主に目を向けて、目を覚まして

いるからです。ですから、主を信じ仰ぐ心と愛とを胸当てとし、救いの望みのかぶとをかぶって、

慎み深く、待ち望んでいくことが、キリストと共に生きていく者の生き方なのです。


C この、
イエス・キリストに焦点を合わせて生きていくことは、どんなことがあっても正しいこと

です。主から離れた仕事は、どんなに努力しても空しさがやって来ますが、主に在ってやること

には、空しさはありません。主が全てを見ておられ、知っていてくださるので、徒労に終わること

は無いからです。

ですから私たちは、一生懸命働き、福音を伝えていくのです。
私たちは、たとい独りになることが

あっても、独りぼっちではありません。私たちには、いつも、教会で主に在って交わることの出来る

兄弟姉妹がいるからです。ですから、残りの生涯を、イエス・キリストに焦点を合わせ、

互いに慰め合い、徳を高め合って生きていきましょう。
                                        

  
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