神の子であるイエスを否定しようとする人々は、イエスの復活を偶然の蘇生の結果であると
主張します。カール・バルトというスイスの聖書学者は、イエスは疲れから気を失い、
死んだように見せかける薬を飲んだだけで、墓に入ってから、その冷気と湿気によって意識を
取り戻したといい、彼らは、イエスが十字架刑の後に、もう一度姿を見せたのは、奇跡的な
復活ではなく、単なる偶然の蘇生の結果だといいます。
弁証―イエス様が、ローマ兵によってわき腹を槍で突き刺されたとき、血と水が出てきたと
あります。この水は心機能不全を起こすと心臓の周りの細胞膜周辺に心外膜液という液体と、
肺にたまった胸水という液が体外に排出されたものです。
すなわち、それを確認したヨハネは、ローマ兵によって槍がイエスの心臓をついたことを証言
しているのです。イエスは十字架上で死んだことは間違いないことです。
すなわち、イエスは気絶して重体のまま生き返ったというのは、全く滑稽な話しで、
たとえ、50歩100歩譲ったとしても、亜麻布を巻かれたままで、布を自分で解く
のは不可能であり、2トン以上の墓石を動かすことも、重体のイエスがローマ兵の目を逃れて
逃げ出すことも不可能です。イエスの死は100%確認された死でした。
ですから、そのイエスが重体の中から看病されて生き返ったのではなく、父なる神によって
復活させられた勝利の主として、弟子たちの前に姿を顕わされたのです。マリヤはその主と
出合いイエスをそこに残して、走って弟子たちのところへ伝えたのです。
すなわち、イエスは、復活によって神の子であることを証明され、その主を弟子たちは宣べ
伝えるために命をかけて宣教したのです。
私たちの主は、私たちの罪の身代りとなって死なれ、完全な甦りによって神の子として証し
されたのです。この主の十字架の死は、私たちへの愛、そのものの証しです。
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