考古学を基に、新約聖書の正確さは、科学的に裏付けられています。
そして、新約聖書の信憑性は、ますます確かなものとなっているのです。
その証例1.使徒行伝17:6に「役人」と翻訳されている「ポリタルケース」という
単語は、他のどの文献をみても、このことばは使われていませんでした。そこで研究者は、
長い間ルカの記述を疑ってきました。ところが、一世紀に建てられたアーチに碑文が書かれて
いるのが見つかり「ポリタルケースの年に」と書かれてあったのです。
又ルカが書いていた年代と同時期のテサロニケから「ポリタルケース」について書いてある
碑文が35個も発見されました。これらによって、ルカの記述を疑うことはできないということ
が証明されたのです。
その証例2.マルコの福音書の信憑性を疑う研究者の中に、マルコ7章31節にある「イエス
は、ツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来ら
れた。」という記事は、マルコが地理に弱かったことを示すもので、「ここにある方角や地名を
考えれば、イエスはガリラヤ湖から離れた所を通られたはずである。」と非難しました。
しかし、古代のパレスチナの地図を開いて、デカポリス地方のイエスが歩いたと思われる道を
たどっていくと、それはマルコの福音書の記述とぴったり一致していました。
ですから、マルコの書いた記事は、何の問題もないことが分ったのです。
このように、聖書の記述を疑う人々は、何世紀もの間、いろいろ疑ってきました。
しかし、今日の考古学の発達によって、次々に聖書の記述の確かさが裏付けられてきたのです。
ところが、ジョセフ・スミスから始まったモルモン教の「モルモン経」は、そこに記されて
いる事件や出来事は、考古学に よって立証されていないのです。
スミソニアン博物館の発表によると、「アメリカ大陸における考古学と、「モルモン経」との
間には、何ら直接的な関係は見られない。」と発表しました。つまり、モルモン経に登場する
都市・人物・場所・国・名前のどれを取っても確認が取れていないのです。
しかし、新約聖書の場合は、非常に正確な史料であることが確認されています。
ですから、新約聖書はますます確かなものとして信頼し、確信をもって語ることができる
「神のことば」なのです。
|
|