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2010年 NO.359

                       
                           
『進化論における精神の問題



精神とは、知性、理性、意識、すなわち霊・魂という心の世界の全般を示して定義されています。

そして、この精神の出所を進化論では、

「モノの進化が一定レベルの複雑性に達した時に、出現する。」と言います。

分かり易く言うと、モノが高度化する際の副産物であると言うのです。

又、モノとは、進化論者にとって「化学及び物理の法則で完全に表現できるもの。」と定義します。

ということは、目に見えない精神の出所を、化学及び物理の法則で説明しなければならないという

矛盾をかかえているのです。科学者は、目に見えないものを科学の対象にはしません。  

ですから、モノの化学反応と物理の法則で精神の出所を証明しようとするとき、「モノ」には、

目に見えない精神的なものを産み出す潜在能力があったと考えるしかないのです。


すなわち、複雑性のレベルに進化する前に、モノには精神を発生させる潜在能力があって、

イザその時が来たら突然精神(意識)が誕生するというのです。

これは、もはや自然主義ではなく、完全な汎神論であり、「モノ」から「神」の出現を肯定する

ことになります。なぜなら、人間の脳より、はるかに偉大な精神レベルに達した場合、

神が出現することになるからです。それは、全ての「モノ」が神になり得るという汎神論が、

進化論であるというのです。
もともと進化論は、目に見えない外部の力を否定してきました。

しかし、人間の心の中に目に見えない精神が存在するという事実によって進化論は、

自らの論理の崩壊を招いている
のです。

聖書は、「我思うゆえに、神あり」といいます。

それは、「神が人に命の霊を吹き込まれた。」(創2:7)からです。






                           


     
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