@ 今朝は、私たちは「地の次元の者ではなく、天の次元に置かれた者」であることを
確認し、天の次元で生きていく生き方について学びたいと思います。
A さて、先週は、「悟るとは、―主の側から見、また考えること」であり、そのような
人は、100倍、60倍、30倍の実を結ぶことが出来るのだと学びました。
そのような人は、イエス様のことばを聞くと直ぐに主の側から考えるので、
「ア、そうか!」と分かり、そのように生きていくのです。
ところが、同じ御言を読んでも、この地上の次元に立っている人は、世の常識や考え方で
見ているので、「そうか!」とは同意できないのです。何故なら、イエス様は、いつも天の
父の御心に立っておられ、天の次元で語っておられたので、地上の(地の次元に立った)
物の見方では、天のことを理解することが出来ないからです。
B では、「天の次元」と「地の次元」について考えてみましょう。
私たちは、「永遠のいのちを得たい」と思いましたが、この世界こそ天の次元のもの
なのです。ですから、イエス・キリストを信じたとき、自分は天の者であり、
神のもとにあって生きて行けばよいのだと思い、嬉しくなり、心が楽になりました。
何故なら、この世の常識、価値観、優劣等々から解放されて、世の考えに縛られず、
天の次元で生きていけばいいと分かったからです。
しかし現実はこの世で生き、働き、勉強したりしなければなりません。
そんな中で、天上のいのちの中で生きていることが非現実的となり、ついこの世の人と同じ
感覚で考え、どうすれば得をし、損しないで生きていけるかという地の次元で生きる者と
なってしまうのです。
確かに、この世で生きている人々の救いは、自分の願望がかなうことであったり、
お金に苦労しないで生きていくことであったり、嫁と姑、あるいは対人関係でのトラブルが
解決することだと考えています。
こうして、今さえ良ければ・・・という中で生きているのです。
これこそ悪魔のだましです。悪魔は、私達をこの地上に結びつけさせておきたいからです。
しかしイエス様は、この地上の人間に御利益を与えるために来られたのではなく、
天の次元に生きるために来て下さったのです。私たちの救いは、この地上ではなく、
天の御国に望みを置いています。ですから、天の次元の中に置かれた者として、
その考えの中で生きていくのが当たり前なのです。
ところが、弟子たちは、てんかんの息子から悪霊を追い出せませんでした。
以前の彼らは、イエス様からその権威を頂き、天の次元の自覚を持って、悪霊を追い出して
いたのです。ところが、時間と共に世の次元に引きもどされ、地上レベルのやり方で
やってしまったために、追い出すことが出来なかったのです。
信仰とは、天のレベルに置かれた者として、御言葉をそのまま受けとめて信じて
行動することです。この素直な信仰こそが、からし種の信仰であり、そこに主の御力が
表されるのです。
C この世の考えで行動するなら、名ばかりのクリスチャンになってしまいます。
私たちは、地の次元で生きている者ではなく、天の次元、天のレベルで生きている者です。
この事実をハッキリと自覚したい。そして、ミラーさんが、天の次元の考え方が、
この地上で通用することを証ししたように、私たちも、天上の次元の者として、
「出来ないことはない」ことを証ししていきたいのです。
「イエス様なら出来る」―これを証しして行きましょう。
そして、天のレベルの見方で聖書を読み、信仰を働かしていきましょう。 |