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2010年7月25日





復活の望みのゆえに





第Tコリント15章20〜28節




  

@ 今朝は、イエス・キリストの復活の意味を考えながら、

キリストにある私たちの生き方とその心について、学びたいと思います。

A さて、コリントの教会には、様々な問題があったことを、これまでも学んできました。

その原因となっていたバックボーンを見ていくと、私たちと共通しているものがあります。

まず、コリントの教会は、異邦人の地にある教会ということです。

それ故に、異邦人の物の見方・考え方がクリスチャンの生活の中に入り込み、クリスチャンとしての

生き方がはっきりと出来ないでいたのではないでしょうか。

それは、福音に対する理解が、まだ正確に分かっていなかったためです。

そこでパウロは、15章でキリストの福音について語り、その根幹である死からの甦りについて

語ったのです。

B では、キリストの甦りについて見てみましょう。

パウロは、あなたがたの中に、「死者の復活はない」と言っている者がいるが、

「もし、死者の復活がないというのなら、あなた方は、今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と

言いました。それは、復活を否定するのは、ユダヤのサドカイ人だけではなく、

ギリシャ哲学の世界でも、「死んだら終わりだ。」と語る者がたくさんいたからです。

もし、その考え方に立って復活がないと言うなら、キリストの甦りも否定することになり、私たちの

救いを否定することになってしまいます。

何故なら、罪の贖いは、神の御子だけができることであり、イエスが神の御子である証拠は、

贖いの死の後で、甦られたことです。
だから、イエスが復活しなかったというなら、

イエスは神の御子でないことになってしまい、私たちの贖いも否定されてしまいます。

又、私たちの朽ちる体が、朽ちない天上のからだに変えられ、救い主と永遠に生きていける幸いも

失うのです。しかし、キリストは、眠った者の初穂として死者の中から甦られました。

それは、墓から生き返ったラザロや、ヤイロの娘のようではなく、二度と朽ちることのない天上の

からだを持った甦りです。この世の次元とは違う完璧な体です。


ですから
キリストの甦りは、初穂なのです。私たちもそれと同じからだに、即ち御霊のからだを

いただくのです。だから嬉しいのです。たとい、この地上でどんなに名誉な表彰を受けたとしても、

私たちは必ず死にます。ならば、永遠につながる生き方をしていきたいと思います。

即ち、自分の利益を求める生き方ではなく、「キリストのために生きていこう。」と思うのです。

パウロには、この心と精神がありました。ですから、この心でアドバイスしているのです。

自分さえ良ければいいという発想ではなく、頂いた御霊の賜物も人の徳を立てるために

使っていこうと勧めています。
その生き方は天で報いを受けるのです。

この徹底した純粋な心は、私たちの生き方でもあるのです。

私たちは、本音と建て前という二股をかけた生き方ではなく、純粋なパウロの生き方をこの地上で

具現化していくのです。この追求の心こそ愛です。
愛は賜物ではなく追い求めるものです。

だから、本気でキリストのために生きていこうとする生き方の中に、この愛が現れてくるのです。

そして、この愛は永遠に残るのです。私たちは、その生き方を追い求める信仰の仲間です。

C この手紙の勧めは、キリストのために生きる労苦は、決して無駄にはならないということです。

なぜなら、私たちには、
復活の望みがあるからです。

ですから、「堅く信仰に立って主のわざに励みなさい。」と言われているのです。

私たちは、キリストのために生きるイメージを再確認して生きて行きましょう。

そして、その労苦が、決しては無駄にはならないことを知っているのですから。              

                                        

  
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