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2010年5月23日





御霊によって生きる





ローマ8章1〜13節




  

@ 今朝は、御霊によって生きる事について考え、学びたいと思います。

A さて、私たちは、イエス・キリストを自分の救い主として信じたとき、それまでに味わった

ことのない平安を味わいました。そして、「これからは、主のために生きていくのだから、イライラ

したり、憎んだり争ったり、ケンカする必要もないな。」と。真にクリアな気持ちを味わいました。

ところが、しばらくすると、すっかり元に戻ってしまったのです。その時から、「自分でしたいと思

う善を行わないで、かえって、したくない悪を行ってしまう」惨めな自分との戦いが始まりました。

ところが、この同じ苦しみをパウロさんも味わっていたのです。しかし、彼は、「だれがこの死の

からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と告白した後で、「ただ神に感謝します。」と

勝利の宣言をしています。どのように勝利できたのでしょうか?

B では、パウロの勝利の答えを見ていきたいと思います。その
ヒントの御言は二つあります。

先ず一つは、
「私たちのうちにキリストの御霊が住んでおられる。」ことです。

私たちは、こんなにも醜い人間ですが、キリストが私達の罪の身代わりとなって死んでくださった

ことによって、神は私たちにキリストの御霊を住まわせて下さいました。こうして、神は、私たちを

罪と死の原理から解放し、御霊に従って歩むようにしてくださったのです。パウロは語っています。

「御霊に従う者は、御霊に属することをひたすら考えます。」と。しかしながら、私たちの現実は

どうでしょうか。ひたすら御霊に属することを考えて、肉の思いから解放されているのでしょうか。

もし、御霊に従って生きるのは、タマのことで、普段は、肉の中に生きていると言うなら、

未だに7章の状態の中に生きていることになります。即ち、クリスチャンは、信じてから、

未だパウロさんのように勝利を味わっておらず、この惨めな中に生きていることになります。

心では、「もう自分の誇りのためではなく、主の栄光のためにやるのだ」と言いながら、成功すると

威張ったり、誇ったりしてしまうのです。神は外側の行いではなく、心を見られますから、誇って

自分の栄光にしてしまうなら、神に受け入れられません。ですから、御霊に従って歩む道は、律法に

従って歩む道よりも、もっと厳しいものになってしまいます。それでは、私たちはこの矛盾の中で、

なお苦しみ続けなければならないのでしょうか。いいえ、次の鍵の御言は、11,13節にある

「御霊によって」という御言です。私たちの内におられる御霊が、死ぬべきからだを生かして

くださるのです。主人公は、御霊様です。
御霊に満たされることによって内なる御霊が強くされ、

もっぱら御霊の思いの中に生きる者として下さるのです。その時、体の行いは殺されるのです。


私たちは、自分の力で自分の心を変えることはできません。だから、御霊がそうして下さるのです。

だから、パウロは、8;2で「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、

罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と言ったのです。

C 私たちは長い間、待ち望み、へりくだりを学ばされてきました。

それは、御霊に満たされた時に、誇ることがないようにされるためでした。どこまでも、「主に信頼

せよ。主が成し遂げて下さる。」ということです。
私たち一人一人が、御霊の力に満ちあふれる者に

されますように。

                                        

  
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