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2010年11月21日



主に聞き従う


第Tサムエル15章1〜25節




  

@ 今朝は、サウル王の失敗から、クリスチャンが心に留めるべき教訓を学んでいきたいと

思います。

A さて、イスラエルの王サウルに、神からの命令が下りました。

それは、「アマレク人を聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子供も乳飲み子も、

牛も羊も、ラクダもロバもすべて。」というものでした。それは、イスラエルの民が出エジプト

した時、疲れて弱っている者を襲い、後ろの落伍者をみな切り倒したからです。この卑怯な

行為は、神を恐れない行為として、神は、イスラエルの民が休息を得たときには、

アマレクの記憶を天の下から消し去るようにと、モーセに語っておられたのです。

その実行をサウル王に託されました。

ところが、サウル王は、値打ちのないものだけを聖絶し、最も良いものは惜しんで

聖絶しませんでした。
そこで神は、サムエルをサウル王のもとに遣わされたのです。

B では、
「聖絶」について考えてみましょう。そもそも旧約聖書は、私たちへの教訓として

与えられています。律法はイエス・キリストによって廃止されましたから、旧約通りに

今日行うことはありません。しかし、神が言わんとする教訓を学ぶ必要があります。

サウルは、聖絶することを命じられたにもかかわらず、王を生け捕りにし、肥えた家畜を残して

おきました。もし、それらを生け捕りにして持って行くなら、民は喜び、国も豊かになると

思えてきたからです。彼の損得勘定の故に、神の御心はどこかに飛んでしまい、民も分捕り物を

欲しいと願ったので、都合の良い行動をしてしまったのです。ですから、サムエルによって

指摘されるまで、自分は正しいことをしたと言い張り、神のお考えに背いたことを、

気づかなかったのです。もし彼が、神の御言葉を忠実に実行しようと心に決めていたら、

たとい肥えた牛や羊を見ても、それを神へのいけにえにしようとは考えなかったでしょう。

神は、アマレク以外からでも十分得ることが出来たからです。しかし、このようなサウルの

失敗は、私たちも経験していることです。

クリスチャンになっても、神の目ではなく自分の目から見た判断をしてしまうからです。

それは生まれながらに培ってきた考え方や理解が自分の頭の中に自然に起こってくるからです。

ですから神は、「空っぽの器に油が満たされる」というメッセージを私たちに下さったのです。

自分の考え方や我を聖絶して空っぽにし、そこに主のお考えとお心を入れるように、

という事なのです
。悪霊は生まれながらの考え方に働き、影響を与えるのです。

サウルの計算高い心に悪霊は働き、民の機嫌を取ろうとして大きな間違いをしてしまいました。

もし、キチッと主に従っていたなら、サウル王家が代々王となっていたでしょう。

しかし、不従順になったが故に、神は、サウルを王としたことを悔いると言われ、

王位を取り上げられたのです。

C 今、私たちの教会も霊的な戦いが始まってきました。確かに私たちは小さい者ですが、

イエス様の救いに預かり、神の子とされた者です。救いの相続者には、天使が遣わされ、

守っていて下さるのです。ですから、私たちに働く悪霊と自分の肉で戦う必要はありません。

また、自分は小さいからダメだ、と思ってもなりません。私たちは肉で勝負するのではなく、

どこまでもイエス様に頼って戦うのです。「主に聞き従うことは、いけにえにまさり、

耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」のです。自分を空っぽにして、

主の心を私たちの心にし、主の側に立って考えていきましょう。

                                        

  
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