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2009年 NO.294





 
『創世記の重要な理由』

  ―創造論と進化論の人生観― 



                               

 科学とは、人の五感(味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚)のうち、1つ以上を使って繰り返し

観察できるものを対象とします。ところが、進化論では、単純なものから複雑な形態へ進化した

過程を、何千万年にもわたって目撃した科学者など、一人もいませんので、進化論は科学とは

言えないのです。ですから進化論は、「進化の過程に居合わせなかった人々の言葉に基づいて

作り上げられた、過去の信仰体系」です。科学者は、過去を直接取り扱えないのは当然であり、

取り扱うことのできるものは、現在入手し得る資料だけです。例えば、化石や地層などの資料は

手に入れることができます。しかし、それらが形成されていった過程を論ずるとき、科学者は、

自らの前提を基に解釈します。ですから、過去に起ったことの、ある前提や仮定が間違って

いたら、大きな過ちを犯すことになります。進化論では、「時間と偶然と生存競争の中で生物は

進化してきた。」と仮定して資料を解釈します。創造論では、「万物の創造の場に立ち会われた

方の証言である、聖書が真理である。」と仮定して、資料を解釈します。両者とも、科学とは

言えず、人間の経験的、合理的に理解できないものを信じる宗教なのです。これは、疑いの

余地はありません。しかしながら、今日、入手し得る資料から考察していくとき、聖書の

主張からみて合致するか? あるいは、進化の枠組みに合うのかを実例を用いて見ていくとき、

最終的には、偶然を根拠にするか? 創造主のことばを根拠にするかの違いになります。ここに

人生観の違いが現われて来るのです。もし偶然を根拠にするなら、確固たる土台を持たないこと

になり、新しい資料が出る度に結論がくるくる変ります。(2009年4月24日付中日新聞に

よると、宇宙の初期に巨大な天体が存在すると発表した。現在の宇宙論では、小さな天体が

初めに出来、それが合体や集合を繰り返して大きな天体になると考えられている。この理論に

見直しを迫られる)とある。(ビッグバン理論の見直しである。)すると、人生観もくるくる

変ることになるのです。しかし、すべての事実は、聖書の記録を前提にすると、手にする資料が

うまく合致するのです。 

 ですから、絶対者の確固たる人生観が創造論にはあるのです。






                   
              



     
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