『悔い改めて勝利を得なさい』
黙示録13章11〜18節、14章9〜12節
@ 今朝は、黙示録が書かれた意味について考え、今私たちに求められている信仰について
学びたいと思います。
A さて、黙示録の初めには(2,3章)、七つの教会に書き送れと言われています。
それは、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに
ある教会です。これら七つの教会にはそれぞれ特徴があります。それは、今日の教会にある
悔い改めるべき問題点、又私たち個々人にある悔い改めるべき信仰の問題が網羅されています。
ですからこの黙示録は、単に、主の裁きの時が来ることを伝えるためだけの書ではありません。
現在の私たちの教会やクリスチャン個人に警告を与えるためのものなのです。
B では、どんな意図を持って、何のために書かれたのかを考えてみましょう。
まず、七つの教会を見てみると、殆どの教会に悔い改めが求められていると同時に、勝利を得る者
には・・・と語られています。ですからこれは、「悔い改めて勝利を得なさい。」という主の
メッセージと言えるのです。使徒ヨハネがこの黙示録を記した頃は、主イエス様が天にお帰りに
なってから四〜五〇年しか経っていませんでした。それでも、初めの福音からズレた信者たちが
いたのです。これらのクリスチャンたちに警告を与える必要がありました。それではどんな
クリスチャンたちがいたのでしょうか。「まず、初めの愛から離れてしまった者たち、主のことば
から離れ偶像に向かった者たち、生きているのに信仰が死んだ者たち、また熱くもなく、冷たく
もないクリスチャンたち等々」の姿が記されています。これらは、今日の教会にも当てはまる
内容です。信じていると言いながらも、信仰に伴う行いがないクリスチャンが多いからです。
彼らは、地上的な幸いばかりを求め、創造主よりも家族や生活の豊かさを第一にし、自分に
不利な選択は、教会を離れることになっても出来ませんと自分を守るクリスチャンたちです。
こういう人たちは、生きていると思っていますが、主から見るなら、死んでいるのです。
ですから「悔い改めなさい。」と言われているのです。患難時代が来たら、後半の3年半には、
荒らす憎むべき者といわれる獣が現れます。彼は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが
許され、全世界の人々を支配する権威を与えられます。そして自分を拝まず従わない者たちを
殺します。また、右の手か額に獣の刻印を押さない者たちには、買うことも売ることも出来ない
ようにするのです。この時代には、曖昧な信仰は通用しません。獣の刻印を押して悪魔の側に
立って自分の命を守るか、拒絶して殺されるかしかありません。もし、家族や自分を守るために ぶどう
獣の刻印を押すならば、「神の怒りの葡萄酒を飲み、獣と同じ永遠に火と硫黄の中に
投げ込まれる」のです。しかし、聖徒の忍耐を現すなら、その後に来るイエス・キリストの再臨の
時に携挙されるのです。彼らは、3年半の苦しみの時をジッと忍耐した人々ですから、
けいきょ
携挙されるに価値のある聖徒たちです。彼らこそ命をかけ本気で主に従った本物の信者です。
主はこのような信者と会いたいのです。ですから、信仰が試めされるときが来るのです。
C 私たちの生き方は、「何はともあれ、まず神の国と神の義を第一とする」生き方です。
みことばに従うか、否かを曖昧にしていたら、患難時代では通用しません。「私たちに妥協はあり
ません。あなた(主)しかないんです。」と今から、その証しを立てていかなければ、いざと
なったときに弱気になり、出来ないとなれば、ゲヘナの火しかないのです。
だから今のこの時代に、イエスの証と行いの伴った信仰が必要です。すなわち、「聞いて心に
留める者は幸いだ。」と言われる生き方をしていくのが、今なのです。 |
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