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2009年10月18日





『香油を注いだ女』




マタイ26章6〜13節




  

@  今朝は、イエス様に香油を注いだ女の行為を通して、「イエス様に対する信頼の心を表現して

いく」ことについて学びたい
と思います。

A さて、イエス様の頭に香油を注いだ女は、ヨハネ福音書を見ると、死から甦らされたラザロの

兄弟、マリヤであることが分かります。しかし、彼女が香油を注いだ時、弟子たちは彼女を非難し

ました。ところが、イエス様はマリヤの行為を全面的に受け入れられて、言われたのです。「なぜ、

この女を困らせるのです。わたしに対して立派なことをしてくれたのです。・・・わたしはいつも

あなた方と一緒にいるわけではありません。・・・世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる

所なら、この人のしたことも語られて、この人の記念となるでしょう。」と。イエス様は、マリヤを

弟子の非難から守られました。


B では、このマリヤの心と、その行為の動機について考えてみましょう。先ず考えられる事は、

「兄弟ラザロの甦りを感謝して、恩返しを込めてしたのでは」、ということです。しかし、福音書を

見ると、病から癒された人間は、自分の願いがかなった瞬間に直ったことだけに目を向けて、自分

勝手な方向に向かっていきます。だから、恩返しというよりマリヤの個人的な信仰の行為であったと

言えます。彼女は、イエス様に対する信頼の心を、純粋な心で表現したかったのです。ですから、

自分にとってかけがえのない高価な香油を、しかも壺ごと献げても惜しいとは思わなかったのです。

ところが、弟子たちは「何のために、こんな無駄なことをするのか。」と憤慨しました。高価な香油

ですから、その一部だけでもいいと思ったのです。しかも、イエス様の頭から流れ落ちるのを見て、

もったいないと思ったのでしょう。これは世的な価値観で見た判断です。だから、主は言われました。

「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと

いっしょにいるわけではありません。」即ち、イエス様に対してこの時しかできないことを、

マリヤはしたということです。すなわち、天に行ってからでは、イエス様に対して何もしてあげる

ことはないのですから。私たちにとっても、この地上にいるときしかできないことがあるのです。

このマリヤの行為に対して、主が天で、「あなたは、惜しまずに私に香油を注いでくれたね。」と

言われたら、どんなに嬉しいことでしょう。しかし、もし人の目を気にし躊躇していたら、どんなに

後悔していたことで しょう。天に行ってから献げると言っても、天ではもうその必要はないの

ですから。イエス様に対して私たちが出来るのは、今この時しかないのです。ですから、その機会が

来たら、私たちも恐れずにやりましょう。主は、「マリヤの記念となる。」と言われましたが、

確かに、私たちにとっても記念となるでしょう。これから私たちは、この中に入って行きたいの

です。

C イエス様の足に香油を塗った罪深い女(ルカ7章37〜50)についても、主は言われます。

「この女の多くの罪は赦されている。それは彼女がよけい愛したからです。」と。

この世では鼻つまみ者とされている罪深いこの女も、天に於いてどんなに喜ばれ、受け入れられて

いることでしょう。天に行ったとき、こんな風に言っていただけたら、どんなに嬉しいこと

でしょう。
私たちは、この地上で終わりではありません。天があるのです。ですから、この地上に

いるときしかできないことを、人がどう思う思おうが、最善の行為をしていきたいものです。

主に対する信頼の心を、勇気を持って純粋に表していきましょう。

                                        

  
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