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2007年 NO.202




『救いの確信について』



 クリスチャンの救いの確信は、聖書が正しいということが説明されれば、聖書の中にある

救いは間違いのないことだと分ります。そこで聖書が本当に正しいのかという根本的な根拠は、

人間を造られた創造主が本当に存在するかどうかで決まります。

 なぜなら、聖書に人間の創造の記録があるからです。そこで、私たちは、自分の体がどの

ように造られているかを学べば、気が遠くなるような、手の込んだ器官が体の中に仕舞い

込まれているのを知るのです。例えば、血液を浄化する腎臓は、肉の塊のように見えても、

1つの腎臓の中に血液中の微少な成分を濾し出す糸球体嚢という丸い袋が100万個もあり、

心臓からの血管が枝分れして毛細血管になり、この袋に入ってきます。そして毛細血管が

その中にぐるぐるとからみあって納められ、100分の2ミリの毛細血管の壁から濾し出され

た成分が尿となって出てきます。実にこの丸い袋は、目に見えないくらい小さく、二つ合わせ

ると200万個もあるのです。そんな仕組みが100g位の空豆のような肉の塊の中に精巧な

仕組みがほどこされています。これが偶然という進化で出来上ってくると思いますか。実に、

人間の体のしくみを見ていくと、創り主の知恵の塊であるということが良く分ってきます。

すなわち、私たちの体は、自分のもののように思っていますが、髪の毛一本から指の先の爪

まで、みな創造主によって造られたものです。そのお方が「私たちを救う」と言って下さるの

だから、こんな確かなことはありません。




                   
              



     
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