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2007年7月22日





  『賜物を用いていく心構え』




第Tコリント14章1節〜40節



@ 今朝は、御霊の賜物を用いていく信者の心構えについて学びたいと思います。


A さて、御霊の賜物には、いろいろな種類があると言われていますが、パウロは、それらを

一つの体の各器官に譬えて語っています。即ち、体にはいろいろな器官がありますが、目が手に

向かって、「私はあなたを必要としない。」と言えないように、御霊の賜物も現れが違っても

キリストの体を構成しているのですから、そこに優劣はなく、それぞれが必要な物であることを

断言しています。しかしながら、そこに愛が加えられなければ何の値打ちもなく、何の役にも

立たないものとなってしまいますから、愛を加えなさいと勧めています。

その例として、パウロは、預言の賜物と異言の賜物を比較しながら、すべてのことを適切に、

秩序をもって行うようにと、賜物を用いていく信者の心構えについて語りかけるのです。


B では、パウロがクリスチャンたちに願っている心構えを考えてみましょう。

この手紙の宛先であるコリントの教会は、御霊の賜物を頂いている幸いな教会でした。

ところが、信者でない者がいても、お構いなく異言を語る有様でした。そこには配慮もなく、

初心の者や未信者にとっては気違いのように感じられることでした。ですから、秩序が乱れて

いたのです。そこで、パウロは言います。「あなたの感謝は結構なことですが、他の人の徳を

高めることは出来ません。」と。と言うのは、異言は、人にではなく創造主に対して自分の

霊で奥義を語るのであり、それを解き明かす者がいなければ誰も理解することが出来なかった

からです。一方預言は、同国の人に向かって勧めをなし、慰めを与えるために話します。

だから、そこに未信者や初心の者が入ってきた場合、彼らの心は刺され、創造主の御前に

ひれ伏して拝むことができるのです。それは、教会の徳を高めることです。パウロは、

この二つの賜物を対比することによって、自分のために生きるのではなく、人の徳を高める

生き方をしていくようにと、語ったのです。そして、それこそが、自分のためではなくキリ

ストのために生きていくことであり、アガペーの愛を実践していく生き方だったからです。


C 私た
ちは、自分の命が創造主によって造られた知恵と技術の賜物であることがハッキリ

したとき、イエス・キリストによって救われたことがどんなに価値あることかを知ることが

できました。ですから、「もはや自分の満足や自分の利益のために生きていくのではなく、

創造主が私を必要として下さるなら、残りの人生は主のために心を遣っていきましょう。」と

心が動き、アガペー(一方通行の愛)を追求していく行き方へと変わってきたのです。
それは、

自分の思い通りにならないと「イヤだ。」というワガママを自分の意志で断ち切り、主のために

生きていく生き方です。そのとき、私たちの信仰は不動のものとなっていくのです。この信仰の

成長を目指して行きましょう。

   



    


                                        

  
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