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2007年7月15日




    『人の徳のために』





第Tコリント10章14節〜33節




@ 今朝は、「自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め・・・」と言ったパウロの信仰に

ついて学びたい
と思います。

A さて、パウロの書簡を読むとき、その内容が一貫していることが分かります。

それは、いつもキリストに焦点が合わされ、「自分のためではなく、人の徳のためにしようと

する」パウロの心が伝わってきます。ここで語られている偶像の問題も、決して律法的には

語られていません。ただキリストにあって人の徳を考えるパウロの心が伝わってきます。

B では、偶像の問題について、どのように勧められているのかを見てみましょう。

ここは、8章の続きとしとして読んでいいと思います。8章では、偶像に献げた肉を、

食べてもいいものかどうかについて述べられています。結論から言うなら、食べる食べないは

どうでも良い事だという事です。何故なら、全ては創造主によって与えられたものであり、

主によって聖められているからです。この創造主に確信を持っているなら、食べたからといって、

何の問題もありません。それは、もともと偶像の神など存在しないからです。ただし、もし弱い

人がいて、偶像の神に献げたということで、つまずく人がいるなら、その人の良心のために

食べることはしないと明言しています。このパウロの心が、10章でも貫かれています。

「自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」と。ですから、もし「これは偶像に

捧げた肉です。」と言う人がいたなら、そう知らせた人の良心のために、食べてはいけないと

パウロは言います。ここに、自分のためではなく、人のために生きていこうとしている彼の心が

貫かれています。こうした彼の心の根底にあるものは何でしょうか。それは、創造主との関係が

揺るぐことがなく確立していることです。彼は、決して人におんぶせず、たとい受ける権利が

あっても、
全能主がいつも傍にいて守ってくださり、必要なものは「主からいただくのだ。」

というパウロの信頼があったからです。だから、キリストのために生きる、という確信と自負心

とを持っているのです。それ故に信仰の純粋性を貫くことが出来たのです。これこそパウロの

心の中にあるアガペーの愛の実践です。
私たちも、この信仰の心で対処していきたいものです。

C 私たちは、一途にアガペーの愛で生きようとしたパウロの生き方に共鳴します。彼がその

生き方を貫けたのは、彼に弱さがなかったからではありません。彼は告白しています。「

自分自身が失格者とならないために、自分を鞭たたいて従わせる・・・。」と。これは、

彼に弱さが人一倍あったからではないでしょうか。それでも、「キリストのために生きる」

という動機の故に、弱さに逃げ込まず、アガペーの愛の実践となっていったのです。ところが、

もし私たちが自分の弱さに逃げ込んで行くなら、それは創造主に対してストライキを起こすこと

であり裏切りです。創造主にいくら反抗しても勝てません。
パウロのように砕かれた悔いし心を

もって、キリストを中心に考え、判断し、キリストのために生きる生き方こそ、見返りを

求めないアガペーの愛の実践です。「自分の利益のためではなく、人の利益のために働いていく」

信仰を求めていきましょう。
 



    


                                        

  
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