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2007年4月8日




   『天にある報い』


ピリピ3章20節〜21節




@ 今日はイースターです。そこで、イエス・キリストが甦ったという事の意味を考え、かつ、

 私たちがこの方に命をかけていくなら、絶対に報いがあることを学びたい
と思います。


A さて、20節に、「私たちの国籍は天にあります。」とあります。“国籍”というのは、その国に

属しているということで、他国に行くときには、それを証明するもの(パスポート)を持って

行きます。たとい、他国から追い出されるようなことがあったとしても、国籍のある国が引き

取ってくれるのです。ですから、国にしろ、家庭にしろ帰る所があるということは嬉しいことです。

さらに、私たちの本当の国籍は天にあるのですから、こんな卑しい体を、甦られたキリスト御自身

と同じ栄光の体に変えて頂いて、神の国に帰れるのです。この地上で終わりではないのです。

こんな素晴らしい報いを、私たちは頂けるのです。


B では、天にある報いについて考えてみましょう。今私たちが生きているこの地上でも報いは

ありますが、全ての人が、努力にふさわしく報いがある訳ではありません。努力がきっちり報われ、

脚光を浴びる人がいる一方で、全く報われない人もいるからです。特にスポーツに於いては、

生まれ持った運動能力のある者は、簡単にレギュラーになれますが、無い者は、努力しても中々

レギュラーにはなれません。この世の中はそういう世界なのです。しかし私たちは、自分で性別

や身分、財産、能力などを選んで生まれてきた訳ではありません。何の意識もなく生まれてきた

のです。気がついたら、今の自分でした。こんな私たちの人生に報いはあるのでしょうか。

どうすれば、自分の人生に本当の意味があり、「生まれた甲斐がある」、と言える者になれるの

でしょうか。ハッキリ言って、運任せというところがかなりあります。ところが、キリスト・

イエスにあって努力したものは必ず報われ、漏れる事はないのです。何故ですか?私たちの

国籍は天にあるからです。この国籍は、イエス・キリストの命、丸ごと引き替えに頂いたもの

です。ですから、こんな卑しい体であっても、キリスト御自身の栄光の体と同じ姿に変えて

いただけるのです。それは、天に国籍を持つ者への報いです。私たちの人生はこの地上で終わり

ではなく、その栄光の体を持って、天で過ごす永遠の世界があるのです。ですから、たとい能力に

恵まれていなくても、主のお役に立ちたいと思う一心で、一生懸命努力していくなら、イエス様が

助けてくださるので、「こんな自分でも出来た」、と恵みを味わう事が出来ます。そしてさらに、

天においても、「小事に忠実な者よ!よくやった!」と報いを受けるのです。ですから、地上の

努力は、空しくは終わらないのです。ですから、秀吉の時代に26人の殉教者が喜んで死んでいき

ました。それは、彼らが死んでおしまいではなく、キリストの甦りにあずかり、永遠のいのちを

頂けるという報いがあることを確信していたからです。実に、報いのある人生は、キリストの甦り

を通して得ることが出来る幸いです。

C イースターは、私たちクリスチャンには、永遠の保証があることをもう一度覚えるときです。

もし、死んで報いがなかったなら、いくら地上で頑張って、地位や名誉を手にしても、

空しく終わってしまいます。しかし、
どんなに迫害を受けて殺されようとも、イエス・キリストの

甦りによって天での報いがあるなら、この地上の人生を、一生懸命努力していけるのです。


全て、イエス・キリストの甦りのお陰です。イースターを感謝!



    


                                        

  
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