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2007年4月15日




    『私たちは、創造主のためにある』


マルコ4章35節〜41節



@ 今朝は、私たちは、「私たちを仕組まれた創造主のために存在している者」であり、この方に

対して生きていくことを学びたい
と思います。

A さて、イエス様は、夕方になって、向こう岸に渡るために、弟子たちと共に舟に乗って出掛けら

れました。ところが、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになりました。

ところがイエス様だけは、ともの方で眠っておられたのです。弟子たちは恐怖に襲われて言いまし

た。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」。イエス様は風を静めら

れると、彼らに対して言われました。

「どうしてそんなにこわがるのですか?信仰がないのは、どうしたことです。」と。

B そこで、イエス様が弟子たちに恐怖心をもったことは、不信仰であると言われた意味を

考えてみましょう。弟子たちは、イエス様が風を静められたのを見て、「いったいこの方はどういう

方なのだろう。」と驚きました。しかし
イエス様は、万物を創られた方ですから、(コロサイ1章16、17)

湖を静めることなど当たり前の事でした。そのイエス様が共に居られたのですから、大波を

かぶったとしても、溺れ死ぬはずがありません。ところが弟子たちは、突風と大波に恐れおののき、

その恐怖に満ちた心をイエス様にぶっつけ、「何とも思われないのですか!」と攻撃的に叫んだ

のです。ここで弟子たちは、恐れを感じて、自分中心になり不信仰を暴露したのです。これは、

自分の気分次第で、イエス様への心をコロコロ変えてしまうことです。こうして、「自分がそう思わ

ないから従えない。」、「自分はそう出来ないから教会に行けない。」と、自分の思い通りにならなけれ

ば、創り主に逆らうのです。しかし、私たちは、創造主によって仕組まれ、生かされている者では

ありませんか。創造主は、私たちのために存在しているのですか。いいえ。私たちが創造主のために

生かされている存在なのです。ですから、私たちを創られた方に文句を言ったり、背を向けること

など出来ない者です。ところが、それを当たり前のようにやってしまっています。「怖いから仕方が

ない。」と。これは通用しません。怖がるのは、創り主がいらっしゃる事を無視するからです。

創造主は、私たちを、愛を持って創られたのですから、どのようなことが起こっても、私たちを

愛し、守ってくださいます。ですから、この創り主に任せ、この方を信じ、この方を中心にして

考えていけばいいんです。それはまた、自分の我を通す生き方からサヨナラすることです。

イエス様は弟子たちに、この心を持って信頼してくることを願われていたのです。

C 
創造主が私たちのために居られるのではなく、私たちが創造主のためにいるのです。ここに

自分の生きる焦点をハッキリとさせていくならば、私たちは、自分の人生を有効に生かすことが

出来ます。「創り主の役に立ちたい。」と願い、新しい分野にも恐れず挑戦してやっていくように

なり、そこに主の助けを味わうからです。
ですから、むしろ怖がってはいけないのです。主が傍に

いて下さるからです。イエス様は、この事を語りかけてくださっているのです。

平安と安心を持って、主のために生きていきましょう。



    


                                        

  
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