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2007年4月29日




  『祈りの確信』


マルコ11章20〜24



@ 今朝は、「心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、その通りになり

ます。」と言われた御言葉の確信について学びたい
と思います。

A さて、私たちは、この御言が自分の確信になっていきたいと思います。そのために必要なこと

は何でしょうか。どんな祈りも、かなえられるという経験でしょうか。いいえ。確かに、全てが

かなえられれば、いいことですが、そうではありません。実際祈って求めたことが、全て、

「自分の思い通りに」かなえられるというわけではありません。むしろ、願っていることと正反対

のことが起こって来たり、中々聞いてもらえない経験の方が多いのです。そして、創造主との関係

に自身を失うのです。しかし私たちの創造主に対するこのような見方こそが問題であり、確信の

妨げとなっているのです。

B では、創造主と私たちとの関係をふまえながら、御言の意味について考えてみましょう。

先ず私たちが、自分と創造主との関係をハッキリと知ることは、信仰生活を続けていく上で非常に

大切です。何故なら、ただイエス・キリストの救いのみを聞いて信じた場合、信仰は、いつも自分

中心になってしまっているからです。何故なら、イエス・キリストは、いつも自分に良いこと

ばかりをしてくれお方だと思い、自分自身にとって不利なことが起こってくると、「イエス様を

信じたのに・・・」と裏切られたような気持ちになってしまうのです。確かに、イエス・キリスト

は私たちを愛し、最善に導いてくださいます。しかし、私たちを成長させるために訓練し、あえて

苦しいことや嫌なことの中をも通させられるのです。そこで、私たちの命が創造主によって造られ

た命だと、当然のように心に入っていなければ、いつも自分の求めを当たり前に主張し、不満ばかり

持つのです。
ところが、「創り主が私のために存在しているのではなく、」「私が、創り主のため

に存在している。」ことが分かれば、従うのは当然であり、信頼するのも当然になるのです。

例えば、私たちの命のメカニズムの凄さ、例えば、音を聞くということに於いて、耳とその仕組み

があるだけでは音は聞こえません。まず、音を伝えるための空気が無ければ聞こえないのです。

同様に、見るという事についても、目だけがあっても見えず、光があって初めて、色の付いたもの

として見ることが出来るのです。実に、全てのものの性質(元素)を知り尽くし、それを利用して

作り上げる技術力がなければ、できないことです。すなわち、そのことを知り尽くしているお方の

存在が無ければ、私たちの命は存在しなかったのです。この事を知っていれば、この創造主に従って

いくのは当然ですし、創造主に刃向かうことなど出来ません。ただ感謝と信頼の気持ちを持って、

「絶対にかなえて下さる。」という自然な心をもつのです。主は「この確信を投げ捨てず、忍耐を

持って約束のものを手に入れるように」と言われているのです。

C 私たちの教会は、
「聖書に書いてあることは、今日もその通りに起こる。」事を証ししていき

たいという志を与えられました。この志に向って訓練され、様々な患難の中を忍耐を重ねることに

よって錬られ、不純物を取り除かれて来ました。だから希望があります。志を与えられた創造主は、

事を行わせて下さるのです。だから、
この創造主が私たちに「祈って求めるものは何でも、すでに

受けたと信じなさい。」と言って下さるのです。ならば、確信を持って祈って行くことは、当然の

ことなのです。



    


                                        

  
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