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2007年12月23日



                   



                                      
                                   
『マリヤの信仰』






 ルカ1章26節〜38節





@ 今朝は、マリヤの信仰について考え、創造主に受け入れられる信仰の心について

学びたい
と思います。

A さて、御使いは、マリヤの所に来て言われました。「あなたはみごもって、男の子を
                        
へきれき
産みます。」と。処女であるマリヤにとっては青天の霹靂でした。しかし、「神にとって

不可能なことは一つもありません。」と言われたとき、答えて言いました。「ほんとうに、

私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と。

未婚の者が身ごもるということは、特に律法の下にあるユダヤにおいては不名誉極まりなく、

何のメリットもありません。にもかかわらず、マリヤは素直に受け入れたのです。この

素直さこそ、私たちの信仰の原点です。

B では、マリヤの言葉から、信仰の原点である素直さについて考えてみましょう。

まず彼女は自分のことを、「主のはしため」と言い、罪人に過ぎない者だと認めています。

この心があるからこそ、御使いの言葉を素直に受け入れることが出来たのです。と言うのは、

自分を罪人と認めた人は、死んだ者ということですから、死んだ人間は何も出来ません、

ただ全能主である神に委ねて生きていくだけです。この信仰の心がマリヤあったからこそ、

彼女は、自分自身を不利な状況下に置くことが分かっていても、御使いの言葉をそのまま

受け入れたのです。マリヤと私たちとの違いがここにあります。私たちは、何とか自分の

考え、自分の力でやって喜ばれようとしています。すると自分にとって不利なことからは、

逃げるのです。しかしそれは、信じた当初からそうだったという訳ではありません。

私たちも、信じた当初は、罪人の私をそのまま救ってくださるイエス様に感謝して、

「イエス様の言われる通りに従っていこう」と思っていました。

 ところが、その思いが、「やらねばならない。」、「やって行くべきだ。」という方向に

向かってしまったのです。その結果、どうなって行ったでしょう。クリスチャンになったの

だから、「アーしなければ、コーしなければ」と、ゴチャゴチャ考えて暗闇の中に入り、

律法の中に自分を追い込んでクリシミチャン(苦しみちゃん)になってしまいました。

実は、この律法を課す生き方は、すべて悪魔のダマシです。悪魔は、「自分で善悪を

判断して神のようになれるよ。」とアダムとエバを誘惑しました。彼らも「神のようになり

たい」と思って悪魔の言葉に従い罪を犯したのです。この悪魔のダマシは退けなければなり

ません。
そのためにはまず、自分自身が罪人であり、自分の力では何も出来ない者だという

ことをハッキリと認めることです。それが分かれば、自分で背負って行く発想は捨て、

「イエス様にやってもらう」という発想に変えていくのです。この明け渡された心に、

聖霊の働きが起こってくるからです。

C 私たちは罪人ですから、キリストと共に死にました。ですから、キリストと共に生きて

いくことが出来るのです。それはキリストの考えに立って生きて行くことです。マリヤも、

「神にとって不可能なことは一つもありません。」との御言を単純に信じ、神の側に立った

のです。
私たちも、自分の考えや打算に立たず、主の側に立ってそのまま受けて行きま

しょう。




    


                                        

  
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