私たちは、自分で人間になることを選んだわけでもなく、男になることも、女になることも、
自分で選んだわけではありません。気がついた時には、自分が人間であり、男であり、女で
あったのです。それでは、人は、「降って湧いた」ように偶然に存在したのでしょうか?
人間はそんな代物ではありません。例えば親が足を失ったら、その子供も足を失って生まれて
くるでしょうか? そんな訳はありません。なぜなら、人間の体の仕組みは遺伝子によって
定っており、その設計図によって、きちんと人間の体は完成してできあがります。生まれてくる
子供は、みんな等しく設計図に従って五体満足な体を持って生まれてくるように仕組まれているの
です。だれが、こんな仕組みを創ったのでしょうか? 理性を持たぬ自然の力ではないことは
確かです。すると、人間の存在の背後には、知性をもったデザイナーの存在が推測されます。
ですから今、科学者の間では、生命の起源を説明する理論として「知的デザイン説」がとなられて
います。まさに、これは聖書の創造主を意味します。人間が創造主の知恵によって造られた
すばらしい仕組みの命であることが分れば、人の生き方は、創造主の御心にかなった生き方が
求められます。子供のしつけも、親のあり方も、結婚も、人生も、すべて、創造主に喜ばれる
あり方が求められます。そういうわけですから、「私たちは、神に受け入れられる聖い、生きた
供え物」として、ささげて行くのです。
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