「エモリ人の王たちは、主がヨルダン川の水をからし、ついに彼らが渡ってきたことを聞いて、
彼らの心がしなえ、もはや勇気がなくなってしまった。」
(ヨシュア5:1)
ヨルダン川の西側にいたエモリ人の王たちは、主がヨルダン川をからして、イスラエル人を渡ら
せたことを聞いて震えおののきました。このようにして、ヨシュアの生涯や、モーセの生涯を学ん
でいくと、「ヨシュアが行った。」 「モーセが行った。」 というのではなく、神様が 「これをなさっ
た。」 「あれをなさった。」ということが記されているのです。
そして、神様がなさったことを聞いて、未信者が腰を抜かし、心がしなえ、勇気を失っていった
のです。ですから、私たちも、主の働きをしますが、それは、「私が行った。」「あの人が行った。」
というのではなく「神様がこれをして下さった。あれをして下さった。」という表われを証しさせて
もらうのです。しかも、神様の働きを、未信者にまで分る形で、証しさせていただくのです。
このように、私たちに必要なことは、主を信頼していく、へり下った心でいいのです。
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