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2005年 NO.128
 

みことば                    
『御言の二面性』 



  聖書の中には、正反対の真理がたくさん出てきます。例えば、

   ・神の選びと人間の責任(使13:48・使13:46)、

   ・キリストは神であり人間である。(第Uペテロ1:1・第Tヨハネ4:2) 

   ・律法の廃止とキリストの律法を全うする。(ヘブル7:18・ガラ6:2)

   ・肉と御霊がある(ガラ5:17)

   ・主に委ねる部分と自分がする部分(詩37:5・第Uペテ1:5)

   ・敵を愛することと、父・母さえ憎むこと(ルカ6:27・ルカ14:26)

   ・見て見ぬ振りをする神と見て見ぬ振りの出来ない神。(ヨセフ売られる・罪人をあわれむ)

   ・さばくために来たのでないキリストとさばくために来たキリスト(ヨハネ3:17・9:39)

 このように聖書には、正反対と思われる記事が一杯載せられています。そこで過去の多くの聖書学者

は、聖書の統一した理解を得ようと、いろいろな神学を打ち立てました。そのため、人それぞれの

立場から見た聖書解釈がたくさん出てきたのです。ある人は右より、ある人は左より、ある人は、
 ちゅうよう
その中庸。そして今日、人の数程のいろいろな考え方があります。キリストの再臨も、患難期前、

患難期後、千年王国後などと、まちまちです。では私たちは、どのように判断すべきでしょうか。

 ある人はバランスを取るべきといいます。それも、人間の知恵によって聖書を理解したいと願う、

罪人の知恵の欲望だと思います。そうする考え方は全て、自分が主人になっています。自分の感情に

あった解釈は受け入れるが、自分が、そうと思わなければ、聞いても無視する罪人の身勝手が働いて

いると思います。私たちは、両面性を持つ聖書の言葉も、へり下って神の言葉として受け留めていく

べきです。そうしないと、自分にあったメッセージしか聞こうとしないわがままなクリスチャンに

なってしまうからです。
「この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵による。」

(第Tコリント1:21) ですから、自分がそうだと思わない言葉も、その通り、へり下って受け

取っていくべきです。そこにへり下りが生まれてくるからです。これが罪人に求められる神のメッ

セージでしょう。




                                    



     
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