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          2005年7月17日



「感覚を訓練された人」

ヘブル書5章11〜14節


@今朝は、14節の御言から、「感覚を訓練された人」とはどういうことかを考え、霊的な大人のハイレベル

な信仰について学びたい
と思います。


A さて、神の御心は、私たちの心が開かれて、いつも喜んでいることです。ところが私たちは、神が私たち

に下さった立場を感謝し味わうどころか、自分の弱さと情けなさを見てうなだれ、心を閉じています。 この

霊的な貧しさはどこから来るのでしょうか。それは、
神の愛を単純にそのまま受け取っていないからです。

神は、愛する独り子である御子を殺すほどにして、私たちを贖い、神の栄光を表す立場としてくださいまし

た。この立場を感謝して味わい、それを表して行けばいいのです。すなわち、「感謝だなー。」と、その世界

に入っていけばいいのです。それは頭ではなく、心、感覚で、身につけるものなのです。
そしてそれを実践

していくことによって、「それでいいんだ。」と、その幸いを味わっていくのです。これが堅い食物であり、

その感覚を身につけて、大人の信仰へと成長していく人なのです。


B では、感覚を身につけるにはどうすればいいのでしょうか。

先ず前提として、信仰を実際に働かせていくのは心ですから、心で分かっていなければなりません。

確かに信じた当初は、頭を使い、信仰の基本を学びました。そして、その知識を増やしていくことが大人

の信仰のように思っていましたが、そうではありません。それは初歩の教えであり、幼子のものです。

しかし、信仰の実践によって、「良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練されていくこと」が大人の堅い

食物なのです。それは、聞いた神の御言・神の真理を、単純に!心に入れ、それを実践することによって、

「それでいいんだ。」と感覚を身に着けていくことです。例えば、Tコリント11章7節には、「男は神の似姿

であり、神の栄光の現われだからです。」とありますが、この御言を読んで、どのように反応するでしょう

か。この御言を単純に心に入れた男の人は、霊の側に立ってこう思うでしょう。 「そうか!私は神の栄光

の現われなのだ。感謝だな。神の栄光をどんどん現していけばいいんだ。そうして行こう!」 と向かって

いきます。ところが、御言葉を単純に心に入れない人は、「自分も神の栄光が現されるために、祈っていき

たい。」と心の中に思うだけで、そのようにしません。しかし、単純に受け入れる人は、前向きに、「これで

いいんだ。」と経験によって味い、良い物と悪い物を見分ける霊的感覚が訓練されつづけ、身についてく

るのです。
私たちは神によって造られ、御子の命によって贖われた者ですから、自画像を貧しくしてはいけ

ないのです。ただ、柔らかい心を持って、積極的に御言葉に立ち、この感覚を身に着けていけばいいの

です。


C 大人の信仰
は、神がしてくださったことを素直に認め、その感覚の中に入っていくことです。私たちが

イエス・キリストを信じたスタートは、この感覚から入ったことを思い出してください。そして、今この感覚に

よって、御言葉をそのまま味わっていく訓練をされていくなら、自分の弱気な肉を見なくなり、人の肉が

働いても気にならなくなるでしょう。 ですから、この霊的モードで、大人のハイレベルな信仰を身につけ

ていきましょう。



                                    



     
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