「安息に入るように」
ヘブル4章2、11〜12節
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@ 今朝は、「安息に入るように、力を尽くして努め」という11節の御言に心を留め、安息に入る
秘訣は、神の御言をそのまま受け取ることであることを学びたいと思います。
A さて、神様は私たちを、安息の世界に召して下さいました。ですから、「安息の世界に入る
ように力を尽くして努めなさい。」と言われているのです。
ところが、現実の私たちはどうでしょうか。敢えて、自ら苦しみの中に留まって行こうとする傾向
があるのではないでしょうか。どうしてですか?
それは、神様の御言を素直に信じきれず、疑問を持ったり、不安を持ったりして、そのまま受け
取ろうとしないからです。 もし、私たちが、神様の御言をそのまま受け取るなら「イエス・キリ
ストを信じる信仰によって義とされた。」−という御言に対して、「感謝だ。うれしいな。ありがとう
ございます。」という思いが心の中に入って来ます。この平安こそが安息なのです。神様が私たちに
下さったのは、この平安(安息)の世界なのです。ですから、単純に御言葉を受け取って喜んでい
くのです。
B では、私たちが、この神様からの安息(平安)の中に留まり続けるには、どのような心構えで
いればいいのでしょうか。それは“へりくだった心”です。私たちは神によって造られた被造物で
あり、あわれみの器に過ぎない者です。ですから、創造主である神の御意志に、“へりくだって”
そのまま従うのは当然の事です。ところが私たちは、自分の願った通りにならないと、不平を言
い、文句を言って平安を失うのです。それは、親が子供に約束して「買ってやる」と、言ったとき
の、子供の態度にたとえることが出来ます。子供は、「買ってあげる」と言われたのだから、
すぐに買って貰えると思い込みます。ところが、親としては、その時の事情や考えがあって、
今直ぐとはいかない場合もあるのです。ここに親と子のズレが起こってきます。そして子供は、
なかなか買ってくれない親に腹を立てて、イライラし、文句を言うのです。私たちは、神様に対して
も同じ事をしてしまうのです。というのは、私たちが祈り求めたときには、「求めなさい。そうすれ
ば与えられます。たたきなさい。そうすれば開かれます。」という御言を信じて、求めます。
ところが、時が長引くにつれ、信頼感が揺さぶられ、イライラし、平安を失うのです。 私たちは、
全てにおいて神の御意志があり、神様の聖なる御性質に従って、何でもお出来になる方であると
信じて、待つべきです。そして、日々約束の御言を受け取り、平安の中に、御言を心に結び付けて
いくのです。そのためには、御言を、常にそのまま受け取っていこうとする信仰が必要なのです。
このように、御言をそのまま受け取っていく時、心の中の霊が反応して喜び、私たちの魂を平安
にさせるのです。
C 私たちは、安息に入るように召されたのですから、敢えて平安の世界から出る必要はありませ
ん。むしろ、常に安息に留まり、味わっていくように努力していくべきです。平安は御言から来るの
ですから、受け取る決断をし、心を定めたなら、受け取り続けていくのです。そして、御言を受け
取った時、信じる者に働く神の全能の力を味わう者とされるのです。この安息に入るように努めて
いきましょう。 |
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