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          2005年6月12日



「安息に入るように」

ヘブル4章2、11〜12節




@ 今朝は、「安息に入るように、力を尽くして努め」という11節の御言に心を留め、安息に入る

秘訣は、神の御言をそのまま受け取ること
であることを学びたいと思います。


A さて、神様は私たちを、安息の世界に召して下さいました。ですから、「安息の世界に入る

ように力を尽くして努めなさい。」と言われているのです。

ところが、現実の私たちはどうでしょうか。敢えて、自ら苦しみの中に留まって行こうとする傾向

があるのではないでしょうか。どうしてですか?

 それは、神様の御言を素直に信じきれず、疑問を持ったり、不安を持ったりして、そのまま受け

取ろうとしないからです。 もし、私たちが、神様の御言をそのまま受け取るなら「イエス・キリ

ストを信じる信仰によって義とされた。」−という御言に対して、「感謝だ。うれしいな。ありがとう

ございます。」という思いが心の中に入って来ます。この平安こそが安息なのです。神様が私たちに

下さったのは、この平安(安息)の世界なのです。ですから、単純に御言葉を受け取って喜んでい

くのです。



B では、私たちが、この神様からの安息(平安)の中に留まり続けるには、どのような心構えで

いればいいのでしょうか。それは“へりくだった心”です。私たちは神によって造られた被造物で

あり、あわれみの器に過ぎない者です。ですから、創造主である神の御意志に、“へりくだって”

そのまま従うのは当然の事です。ところが私たちは、自分の願った通りにならないと、不平を言

い、文句を言って平安を失うのです。それは、親が子供に約束して「買ってやる」と、言ったとき

の、子供の態度にたとえることが出来ます。子供は、「買ってあげる」と言われたのだから、

すぐに買って貰えると思い込みます。ところが、親としては、その時の事情や考えがあって、

今直ぐとはいかない場合もあるのです。ここに親と子のズレが起こってきます。そして子供は、

なかなか買ってくれない親に腹を立てて、イライラし、文句を言うのです。私たちは、神様に対して

も同じ事をしてしまうのです。というのは、私たちが祈り求めたときには、「求めなさい。そうすれ

ば与えられます。たたきなさい。そうすれば開かれます。」という御言を信じて、求めます。

ところが、時が長引くにつれ、信頼感が揺さぶられ、イライラし、平安を失うのです。 私たちは、

全てにおいて神の御意志があり、神様の聖なる御性質に従って、何でもお出来になる方であると

信じて、待つべきです。そして、日々約束の御言を受け取り、平安の中に、御言を心に結び付けて

いくのです。そのためには、御言を、常にそのまま受け取っていこうとする信仰が必要なのです。

このように、御言をそのまま受け取っていく時、心の中の霊が反応して喜び、私たちの魂を平安

にさせるのです。


C 私たちは、安息に入るように召されたのですから、敢えて平安の世界から出る必要はありませ

ん。むしろ、常に安息に留まり、味わっていくように努力していくべきです。平安は御言から来るの

ですから、受け取る決断をし、心を定めたなら、受け取り続けていくのです。そして、御言を受け

取った時、信じる者に働く神の全能の力を味わう者とされるのです。この安息に入るように努めて

いきましょう。 

                                    



     
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