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2005年3月20日


「ただイエス様を仰いで」

ヨハネの黙示録4章、5章



@ 今朝は、ストレートにイエス様を見つめ、かつシンプルな信仰を学び、ただイエス・キリスト

に信頼していく、明るい教会について学んでいきたいと思います。



A さて、4章・5章には、御座とその周りの様子が記されています。そこでは、全ての賛美が、
                             げんぜん        そうごん
父なる神と子羊なる御子イエス様に向けられています。その様子は厳然としており、荘厳かつ絶対的

な感じで、4つの生き物と24人の長老と、万の幾万倍、千の幾千倍の御使い達が、ただ、父なる

神様と御子イエス様を大声で賛美しているのです。この天の光景の素晴らしさを見るとき、私たち

もただ、父なる神とイエス様だけを見ていけばいいんだ、と思わされるのです。そして、信仰とは、

イエス様を仰ぎ、イエス様を信頼することだけだと確認させられるのです。

B では、イエス様を仰ぎ信頼する信仰について考えてみましょう。

私たちは、“信仰”といわれると、「私にそんな信仰があるかしら。」「自分はダメだわ。」と自分を

見てしまいがちです。しかし、自分の中にある信仰を見るのではありません。“信仰”とは、信じ

仰ぐことです。誰をですか?父なる神とイエス様です。私たちが見るべきものは、いつも、「父なる

神とイエス様だけでいい」ということなのです。そもそも私たちは罪深く、無に等しい者であり、

どうしようもない肉にすぎない者です。そんな私たちを神はあわれんで御子イエス様を遣わされ、

私たちの罪の一切合切をイエス様に負わされ、私たちの罪を贖われたのです。ということは、神は、

私たちに期待したのではありません。御子によって私たちを救おうとなさったのです。

救いの根拠は私たちにあるのではなく、イエス様にあるのです。ですから私たちは、ただ、「ありが

とうございます。」と、ストレートかつシンプルに神様の方に心を向けていけばいいのです。


弱い自分だけを見させ、福音を語る資格がないかのように思わせるのはサタンです。確かに私たち

は、どこからでもサタンに訴えられる弱さを持った人間ですから、自分を見たら福音を語れなく

なってしまいます。しかし、無条件に、愚かな者ですと認める砕かれた心を持って、こんな私たちを

も愛して救ってくださったイエス様を伝えていけばいいのです。私たちの心がいつもイエス様に

向けられていく生き方、即ち、「神が全て」、「イエス様が全て」、と神を仰ぎ見ていく生き方こそ

がクリスチャンの幸いなのです。


C 私たちが目指しているものは、シンプルな信仰です。イエス様は、こんな罪深い私を愛して

救ってくださったのだから、ストレートにイエス様を見上げて一生懸命にやっていこうとする

シンプルな信仰です。
もし、自分の力に頼ってやっていくなら、すぐに壁がやってきます。

しかし、「あらゆる事をイエス様から力を受けてやっていこう」とするなら、壁も突き破られていく

のです。そして、私たちの力以上のことをさせてくださるのです。イエス様への信仰をシンプルに

していきましょう。そして、明るい教会にしていきましょう。

また、前向きに伝道していきましょう。  
 




 

 


                               
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