「ただイエス様を仰いで」
ヨハネの黙示録4章、5章
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@ 今朝は、ストレートにイエス様を見つめ、かつシンプルな信仰を学び、ただイエス・キリスト
に信頼していく、明るい教会について学んでいきたいと思います。
A さて、4章・5章には、御座とその周りの様子が記されています。そこでは、全ての賛美が、
げんぜん そうごん
父なる神と子羊なる御子イエス様に向けられています。その様子は厳然としており、荘厳かつ絶対的
な感じで、4つの生き物と24人の長老と、万の幾万倍、千の幾千倍の御使い達が、ただ、父なる
神様と御子イエス様を大声で賛美しているのです。この天の光景の素晴らしさを見るとき、私たち
もただ、父なる神とイエス様だけを見ていけばいいんだ、と思わされるのです。そして、信仰とは、
イエス様を仰ぎ、イエス様を信頼することだけだと確認させられるのです。
B では、イエス様を仰ぎ信頼する信仰について考えてみましょう。
私たちは、“信仰”といわれると、「私にそんな信仰があるかしら。」「自分はダメだわ。」と自分を
見てしまいがちです。しかし、自分の中にある信仰を見るのではありません。“信仰”とは、信じ
仰ぐことです。誰をですか?父なる神とイエス様です。私たちが見るべきものは、いつも、「父なる
神とイエス様だけでいい」ということなのです。そもそも私たちは罪深く、無に等しい者であり、
どうしようもない肉にすぎない者です。そんな私たちを神はあわれんで御子イエス様を遣わされ、
私たちの罪の一切合切をイエス様に負わされ、私たちの罪を贖われたのです。ということは、神は、
私たちに期待したのではありません。御子によって私たちを救おうとなさったのです。
救いの根拠は私たちにあるのではなく、イエス様にあるのです。ですから私たちは、ただ、「ありが
とうございます。」と、ストレートかつシンプルに神様の方に心を向けていけばいいのです。
弱い自分だけを見させ、福音を語る資格がないかのように思わせるのはサタンです。確かに私たち
は、どこからでもサタンに訴えられる弱さを持った人間ですから、自分を見たら福音を語れなく
なってしまいます。しかし、無条件に、愚かな者ですと認める砕かれた心を持って、こんな私たちを
も愛して救ってくださったイエス様を伝えていけばいいのです。私たちの心がいつもイエス様に
向けられていく生き方、即ち、「神が全て」、「イエス様が全て」、と神を仰ぎ見ていく生き方こそ
がクリスチャンの幸いなのです。
C 私たちが目指しているものは、シンプルな信仰です。イエス様は、こんな罪深い私を愛して
救ってくださったのだから、ストレートにイエス様を見上げて一生懸命にやっていこうとする
シンプルな信仰です。 もし、自分の力に頼ってやっていくなら、すぐに壁がやってきます。
しかし、「あらゆる事をイエス様から力を受けてやっていこう」とするなら、壁も突き破られていく
のです。そして、私たちの力以上のことをさせてくださるのです。イエス様への信仰をシンプルに
していきましょう。そして、明るい教会にしていきましょう。
また、前向きに伝道していきましょう。
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