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          2005年12月18日

             つく   ぬし                                   
       『造り主に信頼して生きていく生き方』 

Uテサロニケ1章1〜8節



@ 朝は、たとい、患難や苦しみの中にあっても、「造り主に信頼して生きていく生き方」に

ついて学びたい
と思います。


A さて、テサロニケへの手紙は、TとU、共に同じような目的で記されています。彼らが、迫害と

苦難の中にあったので、信仰に踏みとどまるようにと、励ます必要があったからです。当時は、信じ

ることは、苦難と迫害を受ける事という状況下にありました。そのような中にあっても、テサロ

ニケのクリスチャンたちは、その信仰が目に見えて成長し、相互の愛が増し加わり、従順と信仰と

を保っていました。彼らの信仰が具体的に生きて働き、信仰の証があったことが分かります。

そのような彼らに対してパウロは、苦しみを受けているのは造り主のためであり、それ故に、造り主

は彼らによって栄光を受けるのだと励ましています。ところが私たちには、造り主のために苦しむ

ということが理解出来ていたでしょうか?



B では、「造り主のために苦しむ。」ということについて考えてみましょう。まず私たちの、入信を

振り返るとき、まずキリストに出会ったその後で、造り主の存在を知るようになりました。

その時は、造り主という概念ではなく、子供の頃からの神概念をそのまま信じるものでした。

ですから、信じる事は神様からご利益を受けられるものと思いこみ、最強の神がついているの

だから、いつも助けられバラ色の人生となると期待していました。ところが現実的には、信じて

から罪意識が強くなり、以前に増して信仰のゆえの戦いが多くなり、かえって苦悩の中に入って

いったのです。そして、
信じることが 「こんなに苦しいのか?」と思うようになっていました。

そんな訳ですから、造り主のために苦しみむという思いはさらさらありませんでした。しかし、

もし初めに、「造り主」という概念を知らされ、その後でキリストによる救いを知っていたなら、

流れが違っていたことでしょう。というのは、先ず創造主の存在を知れば、自分は造られた者で

あり、創造主に対して自分の利害で生きることは間違っていることが分かるからです。そこに

立った時、全ての考え方が変わってきます。なぜなら、すべて自分の思惑通りに進む訳ではない

ことを受け入れることが出来るからです。そして、クリスチャンが迫害と困難にあうのは、神の国

のためであり、その中にあって、走るべき行程を走り終えることができるなら幸いだと、前向きな

思いに変えられていたことでしょう。


C そこで、パウロは祈っています。「私たちの創造主が、あなたがたをお召しにふさわしい者に

し、・・・信仰を全うしてくださいますように。」と。それは、創造主はバラエティに富んでおられ

ますから、誰にでも常に苦しみと困難を与えるというわけではありませんが、只いづれにしても、

私たちの願いは、「たとえ患難や苦しみの中にあっても、造り主に信頼して生きていく生き方」

をしていきたいと思います。それは、私たちの命が、自分で造ったところは一つも無く、すべて

造り主からによって造られたとてつもない命であったことが分かっからです。ですから、造り主

のために、少しでもお役に立ちたいと願って生きて行くのです。
 
 

                                        

  
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