『創造主に対して仕える生き方』
エペソ6章6〜8節
|
@ 今朝は、「うわべだけの仕え方ではなく、心から神の御心を行い、善意をもって仕えていく生き
方」について学んでいきたいと思います。
A さて、パウロの時代は、ユダヤ人と異邦人との間には隔ての壁があり、異邦人には神に見捨て
られた者としての差別がありました。ところが、その異邦人にも福音を伝えるようにとの使命が、
パウロに与えられたのです。それは、「キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者と
なり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となる。」という神の永遠の救いの
計画が実現するためでした。ですから、異邦人にこんな恵みが実現した今、自分を卑下せず、大胆
に造り主に近づいていける特権が与えられたのです。すなわち、私たちは今、新しい心で、新しい
生き方の中に入ったのです。
B では、新しくされた生き方について考えてみましょう。先ずそれは、「だれでもキリストのうち
にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりま
した。」とあるように、古いものの延長ではありません。全てが新しくされたという生き方です。
ですから、新創造された者だという明確な切り替えが必要です。ところが私たちは、この切り替え
無しに、生まれながらの罪の性質を引きずりながら日常を送っているのです。それは、古い考えや
過去の先入観などが残っているために、新しく造られたという感覚を心の中に入れるのが難しい
からです。しかし今、主は、心の切り替えを助けるための真理を示してくださいました。それは、
これまでの“神”概念を、“創造主”としての概念に変えていくことです。というのは、これまで
の私たちは、「自分自身が、完全に造られた者であって、自分で造ったところは一つもない。」
ことに意識を留めていませんでした。ですから、造られたという感覚よりも、自分の命は自分の
ものだという意識の中にあり、自立した考えの中で生きて行こうとしていたのです。それ故に、
クリスチャンになっても自分の思い通りにならないという不満の中に絶えずありました。
しかし、もし私たちが、完璧に造られたものであることを明確に認識するなら、自分の利害で生きて
いくことは間違っているし、ましてや、自己主張できる立場では無い事も分かってきます。
又、全てが自分の思いや考え通りに事が進む訳ではないということも受け入れることが出来ます。
そこで、今までの考え方をガラッと変えるのです。そうすれば、生かされている間、創造主の前に
一生懸命生きていけばいいのだと心が定まり、生き方が変わってくるのです。こうして、私たちの
仕え方は、人にではなく創造主に対して仕えるものとなり、「うわべだけの仕え方をしていくの
ではない」と分かってきます。又、自分のすべての道を、創造主に委ねていけばいいことが分かって
くるのです。
C 私たちは、キリストにあって新創造された者です。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなり
ました。ですから、「うわべだけの仕え方ではなく、心から造り主の御心を行い、善意をもって仕え
ていく生き方」をして行こうではありませんか。
|
|
|