『創造主こそ共通の真理』
使徒22章1節〜24節
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@ 今朝は、パウロの回心とそれに対する人々の反応を見ながら、私たちのこれからの伝道のあり方
について考えたいと思います。
A さて、パウロは、律法について厳格な教育を受け、ユダヤ教に対し熱心な者でした。その熱心さ
の故に、パウロは、クリスチャンたちを捕まえては牢にぶち込んでいく迫害者でした。
よみがえら
ところが、甦られたイエスから啓示を受けた時、このお方こそ預言されていたメシヤであること
が分かって、逆にキリストを証する者となったのです。それ以来、パウロはユダヤ人たちが待ち
望んでいたメシアが、今自分たちに訪れていたのだ、ということを伝えていこうと思いました。
それは、そのことが本当に分かれば、誰にでも喜んでもらえることだと思ったからです。ところ
が、期待に反し、逆に激しく迫害されるはめになり、かえってユダヤ人たちの誤解を招くことに
なり、その誤解を解くために自分が味わった体験を話して、キリストを証ししようとしたのです。
B ところが、その証しは、かえって彼らが賛成するどころか、激しい反発になってしまったの
です。彼らは「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と大声でわめき
立てました。普通なら、「これは本当かもしれない。正にあの人がメシヤだったのですか。」と分かっ
てくれるだろうと期待します。ところが、期待とは、反対の方向に行ってしまいました。
実は、私たちもこれと同じような事を味わっています。というのは、私たちもキリストに出会っ
たときに受けた経験を、人々に伝えたいと思いました。その喜びは、誰にでも分かってもらえる
ものと思ったからです。ところが、受け入れてもらえませんでした。これは、昔も今も変わりませ
ん。個人の感覚的な経験は、その人にとっては大きなものでも、他人は同じように共有出来ないもの
だからです。(だからと言って、見たこと聞いたことを話さないわけには行かないのですが。)。
では、どのように伝えていったらいいのでしょうか。それは、まず人間としてだれにでも共有で
きること、人間として知らなければならないことについて語っていくことです。そして、語った後
はそれを押し付けるのではなく、選んでもらうという気持ちで語ればいいのです。私たちが人間と
して共有できる土台とは、私たちの命が、細心の知恵と力によって仕組まれ、生かされているもの
だということです。それは、体を構成している細胞の仕組みを見れば、隅々まで計画し、コントロール
されて造られていることが分かります。この仕組みは、自分で造ったところは一つもありません。
全部造られたものです。だからこそ、自分の命も、又、未信者の命も造り主による尊い命なのです。
今、人々の心に、この真理が欠落しています。 私たちは、この仕組みの素晴しさに、感動すれば、
造り主のすばらしさが分かってくるのです。
C 私たち人間の体と、その生存のための全ての環境のシステムを造られた方こそ、全知全能の
創造主です。この造り主によって生きることは当たり前のことですから、この真理を伝えていけ
ばいいのです。これは、個人の感覚的な体験ではなく、知識で誰にでも分かる共通した真理です。
ですから、この真理は、感情的にではなく。未信者にも知性的に分かってもらえるものです。
これを伝えて行きましょう。
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