『福音宣教の心』
使徒15章1節〜22節
|
@ 今朝は、エルサレム会議から、福音宣教の心について学びたいと思います。
A さて、聖書は、キレイごとばかりが記されている書物ではありません。この15章には、激しい
対立と論争、即ちケンカが起こったとあります。その原因は、異邦人クリスチャンに対する対応に
ありました。というのは、彼らはモーセの律法を知りませんから、ユダヤ人のように割礼の習慣が
ありません。 それで、「彼らも、割礼を受けなければ救われない。」と主張するユダヤ人たちが起
こってきました。そこで、異邦人に伝道していたパウロとバルナバ対ユダヤ人たちとの間で、対立
と論争が起こりました。それを解決するためにパウロたちは、エルサレムに行き、使徒たちや長老
たちと話し合うこととなったのです。
B では、何故このような対立を生んだのか、又どのようにして解決に至ったのかを見てみま
しょう。
先ず、対立を生んだ根底には、ユダヤ人たちの選民意識がありました。彼らは、神を証しする民
として選び分けられ、その契約の印として割礼を受けました。自分たちの聖さを守るために、異邦人
たちと一緒に食事をすることもしませんでした。ところが、ペテロを通してコルネリオが救われ、
異邦人伝道の門が開かれると、パウロやバルナバの宣教によって、多くの異邦人たちが救われる
ようになりました。そこで、割礼を受けていない異邦人たちと共に交わるようになり、一緒に食事
をしていいのかという・・・疑問を持ち上がりました。 そこで「彼らにも割礼を受けさせるべ
きだ。」と主張する者たちが起こって来たのです。こうして、対立と論争が始まったのです。
エルサレムに於いても、激しい論争の後に、ペテロが言いました。「神は、異邦人が福音を聞いて
信じるようにされ、聖霊を与えて下さり、信仰によってきよめて下さった。なのに何故、先祖も
私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けようとするのか。あの人たちも、
主イエスの恵みによって救われたのだ。」と。こうして論争は止み、神に立ち返る異邦人を悩ませて
はいけない、となりました。実は、この異邦人に対するユダヤ人の心の壁というものを、私たちも
未信者に対して持っているのです。それは、自分が信じたときの喜びを語っても、分かってもらえ
ないばかりか、変人扱いされてしまうといった体験の積み重ねから来ているようです。しかし、
だからといって、信じている真理を妥協することは出来ません・・・だから、だんだんと相手と
自分たちの間に壁を作り、苦手意識を持ち、閉鎖的になって、伝道も尻つぼみになってしまう構図
が出てきました。これは間違いであり、本来の姿ではありません。
C では、イエス様の心とはどのようなものでしょうか。それは、「互いに人を自分よりも大切な者
と思いなさい。」(ピリピ2章3〜5節)と、「神がかたどって造られた人をのろってはならない。」
(ヤコブ3章9,10節)、とあるように、自分も相手も造り主によって造られた値打ちのある命
であり大切な者ですから、心を開き、尊重する心を持って語っていくべきです。この心が愛の心
です。それは、押し付けや脅しではなく、「真理と恵みを提供し、選んでもらう。」という福音宣教
の心を、私たち一人ひとりの心としていきたいと思います。
|
|