『信仰一途に筋を通す』
使徒2章37節〜47節
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今朝は、ペテロの説教に対して、聖霊様の力強いお働きがあったことを確認したい。
そして、ただ主に信頼し、筋を通して行く一途な生き方こそ、私たちの信仰の生涯を輝かすもので
あることを学びたいと思います。
A さて、ペンテコステの朝、人々は、大きな物音に驚いて集まってきました。 そして、使徒たち
が、いろいろな国言葉で神の証しをしているのを聞き、驚き惑っていました。その彼らに対して
ペテロは語り始めました。「あなたがたに知っていただきたいことがあります。 どうか、私のこと
ばに耳を貸してください。」と。 この話し方は、「聞け!」というような押し付け語調ではありませ
こ
ん。むしろ、お願い語調です。 だからといって、相手が聞きたくないことは言わない、と、媚びへつ
らっている訳ではありません。彼は、むしろはっきりとユダヤ人の罪について語っています。
「神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」と。
これを聞いた人々は耳をふさぐどころか、心を刺され、「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と
心動かされて、三千人の人々が信じたのです。これは、聖霊様の働きとしか言いようがありませ
ん。なぜなら、聖霊様の働きがな かったら、反発するだけで、誰も聞いてくれない世界です。
それなのに、彼らの心が動かされたのには、聖霊の働き以外にありません。だからこそ、私たち
も、聖霊様の働きを求めてきたのです。
B では、私たちのこの願いと求めは間違っていたのでしょうか。確かに私たちは、イエス様を
信じたとき聖霊を受けました。ですから、今私たちの中に聖霊が居られるのが分かります。しかし、
聖書を見ていくとき、聖霊の注ぎは一度だけで終わっている訳ではありません。イエス様も、当然
生まれた時から聖霊の内住がありました。また、働きを始められる公生涯の始めにも、聖霊の
豊かな注ぎを受けられました。ペテロたちも、主の復活の後にイエス様から聖霊を受けました。
そして、働きを始めだすペンテコステの日に、聖霊のバプテスマを受けているのです。今私たち
も、神が開かれた門に入って行く時が来ています。ですから、私たちも聖霊のバプテスマを受ける
時に来ているのです。 これまでの私たちの歩みは、いろいろな教会との交わりがあり、また
うよ 別れもありました。その紆余曲折のある中、ただ信仰一途に筋を通してきました。 その様な教会
を、主は守ってくださり、信仰に真っ直ぐ立つ教会として、一人一人を取り扱ってくださいまし
た。 人の弱さを持つ私たちが、なぜここまでやって来れたのでしょうか。それは一重に、聖霊なる
神に力強く導いて頂きたいという願いがあったからです。人間的な思惑や計算では、リバイバル
は起こらないからです。主は今、その門を開き始めてくださっています。ですから、ストレートに
強く求めていくのです。
C 今ここに残っている一人一人は、厳しい取り扱いの中にあっても筋を通して来た者たちです。
私たちは、人に媚びへつらわず、ただ聖霊様の働きだけに信頼して行けばいいのです。信仰の確信を
持って、不動の者とされ、強く雄々しく主に信頼して歩んでいきましょう。
その歩みこそ、私たちの生涯を輝かすのですから。
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