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          2005年10月23日


 『信仰一途に筋を通す』 

使徒2章37節〜47節



@ 今朝は、ペテロの説教に対して、聖霊様の力強いお働きがあったことを確認したい。

そして、
ただ主に信頼し、筋を通して行く一途な生き方こそ、私たちの信仰の生涯を輝かすもの

あることを学びたいと思います。


A さて、ペンテコステの朝、人々は、大きな物音に驚いて集まってきました。 そして、使徒たち

が、いろいろな国言葉で神の証しをしているのを聞き、驚き惑っていました。その彼らに対して

ペテロは語り始めました。「あなたがたに知っていただきたいことがあります。 どうか、私のこと

ばに耳を貸してください。」と。 この話し方は、「聞け!」というような押し付け語調ではありませ
                                       

ん。むしろ、お願い語調です。 だからといって、相手が聞きたくないことは言わない、と、媚びへつ

らっている訳ではありません。彼は、むしろはっきりとユダヤ人の罪について語っています。

「神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」と。

これを聞いた人々は耳をふさぐどころか、心を刺され、「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と

心動かされて、三千人の人々が信じたのです。これは、聖霊様の働きとしか言いようがありませ

ん。なぜなら、聖霊様の働きがな かったら、反発するだけで、誰も聞いてくれない世界です。

それなのに、彼らの心が動かされたのには、聖霊の働き以外にありません。だからこそ、私たち

も、聖霊様の働きを求めてきたのです。


B では、私たちのこの願いと求めは間違っていたのでしょうか。確かに私たちは、イエス様を

信じたとき聖霊を受けました。ですから、今私たちの中に聖霊が居られるのが分かります。しかし、

聖書を見ていくとき、聖霊の注ぎは一度だけで終わっている訳ではありません。イエス様も、当然

生まれた時から聖霊の内住がありました。また、働きを始められる公生涯の始めにも、聖霊の

豊かな注ぎを受けられました。ペテロたちも、主の復活の後にイエス様から聖霊を受けました。

そして、働きを始めだすペンテコステの日に、聖霊のバプテスマを受けているのです。今私たち

も、神が開かれた門に入って行く時が来ています。ですから、私たちも聖霊のバプテスマを受ける

時に来ているのです。 これまでの私たちの歩みは、いろいろな教会との交わりがあり、また
           うよ
別れもありました。その紆余曲折のある中、ただ信仰一途に筋を通してきました。 その様な教会

を、主は守ってくださり、信仰に真っ直ぐ立つ教会として、一人一人を取り扱ってくださいまし

た。 人の弱さを持つ私たちが、なぜここまでやって来れたのでしょうか。それは一重に、聖霊なる

神に力強く導いて頂きたいという願いがあったからです。人間的な思惑や計算では、リバイバル

は起こらないからです。主は今、その門を開き始めてくださっています。ですから、ストレートに

強く求めていくのです。



C 今ここに残っている一人一人は、厳しい取り扱いの中にあっても筋を通して来た者たちです。

私たちは、人に媚びへつらわず、ただ聖霊様の働きだけに信頼して行けばいいのです。信仰の確信を

持って、不動の者とされ、強く雄々しく主に信頼して歩んでいきましょう。

その歩みこそ、私たちの生涯を輝かすのですから。
   

                                    



     
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