イサクは激しく身震いして言った。・・・
『おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ彼は祝福されよう。』
(創27:33)
エソウは父のことばを聞いて大泣きしました。しかし、すべては遅かったのです。弟のヤコブが
だまして祝福を横取りしてしまったからです。しかし、イサクはヤコブがだましたと知った時、
祈り直せば済むことだった。しかし、イサクはエソウに「わが子よ、お前のために、私はいったい
何ができようか。」と言いました。これは祈り直せば済むという簡単な問題ではなかったようです。
祈りとは、それだけ確かなもので、神様の前にささげられた祈りは、その通り聞かれるのだということ
です。すなわち聖書には「のろってはいけない」とあるのは、そのためです。
神様は、私達の祈ったことを言葉の上だけのこととは見ないで、それが人の心から出たことと見て
おられるのです。ですから、私たちが疑いつつ祈れば、その疑いの通りになる。しかし、本気で祈れば、
そのとおりに成るのです。
私たちは、神様の前に信じて祈ったことは、その通り成ると感謝しつつ、確信をもって祈っていき
ましょう。
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