「バプテスマのヨハネの信仰」
|
ヨハネ1章1〜34節
|
@ 今朝は、神の御言をストレートに信じていく信仰の素直さについて、バプテスマのヨハネから、
学んでいきたいと思います。
A さて、ヨハネは、預言されていたメシヤはこの方であると、人々に指し示していく特別な任務が
与えられていました。ヨハネにとってはその方を、一度も見たことのない方です。そのような任務を、
どのようにして遂行していったのでしょうか。彼のその判断を見るとき、私たちが今学ばされている
御霊による判断とはどういうものなのか、を具体的に知る事が出来ます。そして、“御霊で生きてい
けばいいのだ”と確信させられるのです。
B では、ヨハネがどのようにして、その務めを果たして行ったのかを見てみましょう。彼は、祭司
ザカリヤとエリサベツの子として生まれ、時至って、ヨルダン川で、人々に悔い改めのバプテスマを
授けていました。その時、「あなたはだれですか。」と問う者に対し、「私は、預言者イザヤが言ったよ
うに『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」と答えました。それは、救い主
メシヤがおいでになるための道備えをする働きであり、その方を指し示す働きでした。しかし、「私も
この方を知りませんでした。」と言っているように、詳細かつ具体的に、こういう方ですよ、と知らさ
れてはいませんでした。唯、一つだけ知らされていたのは、『聖霊がある方の上に下って、その上に
とどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
ということだけです。それはヨハネにとって経験がないことであり、不安であったでしょう。 もし、
「それだけでは不安で出来ない。」と心を閉じてしまったなら、その働きも出来ず、また、6千年も
待ち望んできたメシヤを真っ先に見るという祝福を得る事も出来なかったでしょう。
しかし彼は、自分の考えに立って疑い、心を閉じるような事はせず、神に対して心を開き、柔らか
な心をもって、その通りにしていったのです。ですから、イエス様の上にそのしるしを見た時、はっきり
と断言したのです。「私はそれを見たのです。 それで、この方が神の子であると証言しているので
す。」と。このように、神の御言に対して、素直な心を持って聞き、信じて従って行ったヨハネのよう
な人こそ、豊かな祝福を受け、用いられていく人なのです。
C ヨハネは、自分の判断に立たず、「神がこう仰ったからそれでいいんだ。」というストレート
な心で任された任務を全うしました。私たちも同じ生き方をして行きたいと思います。自分の知恵
で御言の善し悪しを考えるという傲慢な心を改め、「聖書にこう書いてあるからそれでいいの
だ。」と原点に返っていきましょう。素直で単純な信仰の心で従って行くその生き方こそ、御霊に
よって生きていく生き方なのです。イエス様は、聖霊でバプテスマして下さる方です。聖霊の中にドボン
と浸されたなら、御霊の判断が力強く出来るようになっていくでしょう。ヨエルの預言をイエス様が
受けて、 私たちに下さるのです。御言通りに、イエス様がして下さると感謝していきましょう。
|
|
|