教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
 

2004年12月12日

                                                                                 
「救い主イエス・キリスト」

Tコリント15章1〜21節

                        



@ 今朝は、私たちが、イエス・キリストの救いに預かっているという証拠はどこにあるのかを

考え、この方以外に救いはないことを確認したいと思います。


A さて、私たちは、自分が歩んできた人生を思い返した時、失敗したイヤな事をたくさん思い出し

ます。そして、依然と変わらない自分を見る時、自分で自分を善くすることが出来ない無力感に襲わ
                     くぎょう
れるのです。私は、ある高僧といわれる方が、千日苦行を成し遂げた後で、インタビューに答えて

言われた言葉を思い出します。「私は、まだまだです。」と。どんなに苦しい修行をしたとしても、

「もう大丈夫。」と心の平安を得ることは出来ないのだと分かります。すなわち、人は自分で自分を

救うことは出来ないのです。ですから、救っていただくしかありません。ところが、人はみな罪を
                    つぐな
持っていますから、人が他人の償いをすることは出来ません。神以外に私たち人間を救える方は

おられないのです。
 聖書は言います。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために

死んでくださった。」と。
すなわち、罪人の私たちをありのまま救うことがおできになるのは、神の

御子イエス様だけなのです。


B では、なぜイエス様でなければいけないのでしょうか。

その疑問に答えるのが、 イエス・キリストの復活です。神は、私たち人間を救うための具体的な

シナリオを、イエス様がお生まれになる700年ほど前に、預言者イザヤを通して預言されまし

た。「時が満ちると、神の御子が肉体を取るために処女からお生まれになる。」と。それは、人の
   あがな
罪を贖うために、神が、人の目にはっきりと見える形でおいでになるためでした。そして預言の

通りに、罪びとを贖うために十字架につけられ、死に、葬られたのです。こうして私たち人間の

罪の代価を払ってくださったのです。それが確かなことだと分かるために、神はイエス様を
よみがえ
甦らせ、イエスこそ神の御子として、人を罪から救うことの出来る救い主であることを明らかに

されたのです。
使徒パウロは、この事実を手紙に書いて コリントの人々に送りました。当時は、

未だ復活したキリストを目撃した人たちが生きていましたから、疑う人々は聞きに行き、確認する

ことが出来たのです。もし復活が無くウソだったなら、パウロやペテロたちも命をかけて宣教の

働きをすることもなかったでしょう。多くのクリスチャンたちも迫害から迫害へと苦難の道を歩む

ことも無かったでしょう。復活が無かったなら聖書の話も事実無根のたわごととなり、救いの

根拠も無く、キリストは単なる偉人となって、信仰は虚しいものとなってしまうのです。

しかし、復活の証人がいたからこそ、今日まで聖書が伝えられているのです。キリストの復活を

自分で確認して喜んだ者たちは、その真実を伝えたかったのです。そしてイエス様が甦った事に

より、私たちも甦らされて、永遠の命を持つ者となる望みと保証があるのです。

C イエス・キリスト以外に救いはありません。この救い主は、今も生きて父なる神の御座の右に

おられ、私たちのために取り成しをして下さっているのです。主は生きておられるからこそ、今なお

現実に助けて下さる方なのです。
ですから、自分で自分を守る必要はありません。救いを求める

なら、ただ「イエス様、あなたに信頼します。守り導いて下さい。」と、生きておられるキリストを

信頼していけばいいのです。


 


                      

                               

 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室