「人間の罪と救い」
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ロマ書1章18〜32節
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@ 今朝は、“人はどうして救われなければならないのか”について考えてみたいと思います。
A さて、神の存在無くして人間の存在は有りうるのでしょうか。
ダーウイン以後、人間の起源は、小さな細胞から時間をかけて進化して来たものだ、という
進化論的なものの見方で説明されてきました。そして私たちも、人間の起源だけでなくあらゆる
問題が、科学の発展によって解決できるという科学万能主義の考え方の中で育ってきました。
ところが昨今、私たちの上に環境問題が大きくのしかかってきているのです。科学の発展による
文化的生活は人間を楽しませるものであったはずが、今では、オゾン層の破壊や、さまざまな
環境汚染や放射能問題等々によって、かえって人間を苦しませる方向に向かっているのです。
それは、科学法則を正しく用いていく事の出来ない人間のエゴイズムが原因となっています。
今や科学万能の神話は崩れてきました。
B では、聖書はどのように語っているのでしょうか。
聖書は、「神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、
はっきりと認められるので あって、彼らに弁解の余地はないのです。」と語っています。確かに
今日では、生物は自然発生はしないし、偶然には出来ない事も科学者たちの常識になっています。
たといアミノ酸を作り上げる事は出来ても、それだけでは蛋白質を構成できないのです。又、雪の
結晶一つを見ても、6角形という秩序の中で、一つ一つがみな違う模様を持っているのです。
誰かが設計し、誰かが造らなければ出来ません。ところが人間は、誰かに支配されているとは
考えたくないのです。神を認めると、人間の能力で解決する力を誇れなくなるからです。そこで
人間は、「神を神として崇めず、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄
を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」。自分にとって
都合の良い神々は拝み、人間の上に立つ創造主は拒否してきたのです。そして、創り主を捨てて、
造られたものを拝んでいる人間に対し、神は「人間の心の欲望のままに汚れに引き渡された」の
です。ですから、自分さえ良ければ・・・という自己中心な者、身勝手な者、わがままな者となり、
自分さえ良ければいいと思って、環境を破壊してきたのです。この人間のあらゆる不敬虔と
不正に対して、神の怒りは天から啓示されています。
C 「何故人は救われなければならないのでしょうか。」−それは、人間には不正と不敬虔の罪が
あるからです。その裁きは地獄であり、意識を持ったまま永遠に苦しみ続け、罪の報いを受けるの
です。裁きがあることは、感情で「無い。」と言えても、理性では否定できません。自分の罪の心は
自分が一番よく知っているからです。しかし神は、自分で自分の罪をどうしようもできない人間を
救うために、イエス様に全責任を負わされ、私たち人間の身代わりとして裁きをなされたのです。
よみ
それが十字架です。イエス様は黄泉にまで下らされましたが、神は3日目に甦らされ、この方以外に
救いはないことを明らかにされたのです。ですから、イエス様を私たちの救い主として信じ、
罪赦されて、救いを得る必要があるのです。
この救い主イエス様を信じ救われる者となって下さい。
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