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2004年1月25日


「確かにある信仰

ルカ17章5〜10節


@ 今朝は、「信仰が増す」ことについて学びたいと思います。


A さて、「私たちの信仰を増してください。」と言う前向きな使徒たちの願いは、私たちの願いでも

あります。しかし、「自分には信仰が無いから。」とか、「自分は疑い深い者だから。」という消極的な

思いでは、その願いは叶えられないでしょう。 なぜなら、イエス様が「からし種ほどの信仰があった

なら・・・」と言われたのですから。この「からし種」というのは、小麦粉の粒のようなもので、

粒子を感じさせないほどの極小の種子のことではありますが、そこには、たとえ小さくても「確かに

ある信仰」に対して、イエス様は、語っておられる
ことだからです。


                  たと
B では、イエス様の譬え話から、「信仰が増す」とはどういうことなのか考えてみましょう。ここで

主は、主人と下男の関係を明確にしておられます。それは、とりもなおさず、神様と私たちの関係で

あるのですが、それは、卑屈になれ、ということではありません。どこまでも「主人の心を満足させ

ることに心を遣いなさい。」という意味です。というのは、私たちの心の中には、「人に認められた

い。」とか「自分が満足するような方法で仕事をしたい。」というような、自分を現そうとする思いが

強いからです。そして、自分の仕事が認められないと腹を立てたり、膨れたりするわがままな思い

が、当たり前のように働きます。それでは神様の考えから遠く離れてしまうのです。 私たちは

神のしもべなのですから、 自分の満足や自分の見栄のために生きるのではありません。どこまで

も、主人である神ご自身を満足させるために生きるのです。 即ち、「自分に言いつけられたこと

をみな、してしまったら、『私たちは役に立たない僕です。なすべきことをしただけです。』と

いいなさい。」と言われたイエス様の御心の中に生きる者で、私たちが「神様の御心が立つなら

良し」という信仰に立つ時に、初めて信仰の中に生きて行けるのです。


 さらに、信仰が増すのを妨げるものがあります。それは、自分の過去の失敗や、自分の弱さを

見せ付けられる事です。そんな時、祈っていても「ダメじゃないかな。」という不安な思いに捕らわ

れて、尻ごみしてしまうのです。この会堂を建てる時もそうでした。もし、現実(資金面)ばかりを

見ていたら、尻ごむしかありませんでした。しかし、「神に不可能は無い。」と単純に神を見て信頼

していった時、会堂は建ったのです。この経験は信仰を確信させ、それからの励ましとなっていま

す。だから、ダメかもしれないという弱気な心でやってみても、「タマタマこうなったんだ」と

思ってしまい、信仰が増していくことにはならないのです。信仰が増していくためには、積極的な

心で、「神の御心が立つなら、自分はどうなっても良い」という前向きな心と、主のしもべとして

「なすべきことをしたに過ぎません」と徹底的に従って行く心を持って行く時、信仰が増していく

のです。



C イエス様は、「気をもむことはやめなさい。」と言われました。 心配する所に信仰は生まれませ

ん。「全能の神の言われる通りやって行きます。」と。 忠信な下男の心を持って仕えていきましょ

う。そして、神の全能の力を味わって、益々信仰が増していく者とされていきましょう。




                               

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