「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることを認めても、
その信仰は弱まりませんでした。」 (ロマ4:19〜22)
果して、アブラハムは、本当にこのようであったのでしょうか? アブラハムは、サラによって
子供が与えられるという神のことばを笑いました。彼は間違いなく神のことばを疑ったのであり、
信じようとしませんでした。サラも同様です。 しかし聖霊様は彼らのことを「彼は、不信仰によって
神の約束を疑うようなことをせず、・・・神に栄光を帰した。」と言っておられるのです。
なぜでしょうか?
御霊は、その後のアブラハムの心の動きを見てこう証言されたのです。 すなわち、アブラハムは、
その後疑う気持ちを捨てて、主の言われた通り割礼を受けました。そこに疑う心はあっても、神に従っ
て行こうとするアブラハムの信仰の行いが表われています。もし本気で疑っていたら、割礼を受ける
こともせず、神から離れ自分の道を行ったことでしょう。しかし、彼は、心を変えて、信ずる方向に向っ
ていったのです。ですから聖霊様は、「その信仰は弱まりませんでした。」と言われたのです。
これなら、私たちも、アブラハムの信仰を受け継いでいる者と言えるのではないでしょうか。
アブラハムは決して信仰の勇者ではありませんでした。しかし、イザとなれば、神に従う道を信仰に
よって選択していった人です。このアブラハムの信仰の道に歩むなら、私たちも 「不信仰によって、
神の約束を疑うようなことをせず・・・神に栄光を帰した。」と見ていただけるのです。
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