「羊飼いたちは互いに話し合った。
『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせて下さったこの出来事を見て来よう。』」
(ルカ2:15)
なぜ、メシア(キリスト)の誕生が、イスラエルの贖われるのを待ち望んでいたユダヤ人の指導者
たちに告げられず、野宿して羊の群れを見守っていた、貧しい羊飼いに、しかも、神の律法からは、
縁遠い人々に伝えられたのでしょうか? それは、「人の子が来たのは、失われた人を捜して救う
ために来たのです。」とあるように、罪人を救うために、この世に来られたからです。救い主の到来
は、この世が火で審かれる前に神から遣わされているのです。しかし、人々は神の審きを冗談の
ように思っています。それは、ちょうどノアの洪水の時と同じです。 自分は義人だと自認している
人々は、救い主の誕生も、他人事なのです。 しかし自分こそ罪人だと自認している人々(貧しい羊飼
い)こそ、救い主の誕生を喜ぶのです。医者を必要とするのは、丈夫な者ではなく、病人です。 キリス
トは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来られたことを感謝しま
しょう。(ルカ5:31〜32)
|