ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2003年 NO.28

             
『モリヤの山上で』   
  

      アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。」
                                   (創22:10)
 

                                      


アブラハムにとって、イサクは、神の祝福を受ける土台でした。それを今献げてしまったら、カルデヤ

のウルから旅を続けてきた100年はどうなるのでしょう。アブラハムが刀を取るということは、自分

のこれまでの生涯の全てを献げることになるのです。 その後に残るものは、
「ただ神を全てとした

心」
だけでした。

 
しかし、これこそが神がアブラハムをウルから導き出した目的です。このモリヤの山上こそ、アブラ

ハムが信仰の高嶺を極める場所だったのです。信仰の試練は、火を通して精錬された金よりも尊いので

あって、イエス・キリストの現われの時、称賛と光栄と栄誉に至るものです。
私たちの地上の旅路の目

的は、このアブラハムの信仰に達するためであり、地上の働きの成果を残すためではないのです。

私たちは、天の故郷にあこがれているのですから。
 
                                    



     
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室