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2003年9月7日


律法を成就するために


マタイ5章17〜18節


@ 今朝は、イエス様が、「わたしは律法や預言者を廃棄するために来たのではなく、成就するために

来たのです。」
と言われたことの意味について学び、そこに示されたキリストの福音を感謝し、キリス

トの救いにあずかりたいと思います。
             
               


A さて、旧約は、律法と言われているように、‘こうすべきだ’という戒めが多くあります。その

戒めを守る時、神から幸いが約束されています。ですからユダヤ人は、戒めを守ろうと必死でした。

いつも人目を気にし、自分は戒めを守っている者だと分かるように、外見の行いに心を配っていま

した。このことは、今日の私たちの中にもあります。たとえば、「たとい悪い事をしても、捕まった

り、見られたりしなければいい」と外側だけ気を配っている自分があります。それは、人に認められ
                 ぎぜん
たいからです。しかし、そんな私たちの偽善は、神には通用しません。イエス様は律法の心を明らか

にすることによって、そのことを示されたのです。
                      

B では、イエス様の明らかにされた真理について見てみましょう。律法では『人を殺してはならな

い。』とありますから、私たちは、「人を殺さなければいいんだな。」と考えます。そしてそれをしてい

ない自分は立派に律法を守っている、と考えています。ところがイエス様は言われます。 「兄弟に向

かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。・・・また、『ばか者。』と言う

ような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」と。人の命をとることだけが人殺しなのではなく、相手

の人格を否定することも、人を殺す事と同じ事なのだという意味です。 また、「『姦淫してはならな

い。』といわれているが、情欲を抱いて女を見る者は、すでに姦淫を犯したのです。」と。即ち、男であ
                    
れ女であれ、心の中で妄想するなら、姦淫の罪を犯したのと同じ事なのだ、とイエス様は言われま

した。こんなことを聴くと、私たちは、心の中の思いまで責められたら、「やっていけない」、と思

います。確かにそうです。「それぐらいいいじゃないか。」と、簡単に考えてしまういい加減な者です

から、神の律法を完璧に守り切ることなど不可能です。

  そこで、
そんな私たちのために、 イエス様は、 「わたしは、律法を廃棄するために来たのではな

く、律法の中の一点一画のすべてを成就するために来た。」と言われました。すなわち、イエス様ご自

身が律法を完全に成就するために来て下さり、それを完全に全うして下さったために、今は、律法を

廃止されたのです。しかも、イエス・キリストが、不敬虔な私たちの身代わりとなって十字架の上で
            
死んでくださり、一切の罪の償いをしてくださったので、神はイエス・キリストを信じる信仰によっ

て義と認められるようにしてくださったのです。キリストは、律法を棄てるのではなく、終わらせ

るため(廃止するため)に来て下さったのです。



C ですから、
人間が天国に行く方法は、イエス様による以外ありません。良い行いをして真面目に

生きていけば・・・と考える人もいるかもしれません。しかし、神の前に自分は、罪を犯したことがない

と言える人はいません。私たちは、自分が不敬虔な者である事を全面的に知るべきです。そして神の

前に良い行いは出来ないと認め、キリストの救いによって、義とされることを求めるのです。その

時私たちは、天上のからだを持つ者とされるのです。このキリストの救いにあずかってください。
 
                               

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