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2003年6月8日

「約束の御霊」

エゼキエル書36章22〜38節


@ 今朝は、ペンテコステの記念日です。そこで、私たちの教会に御霊の満たしが約束されている

神の御言から学びたいと思います。

A さて、私たちは、「空っぽの器に油は満たされる。」と導かれてから、御霊の満たしを求めるように

なりました。しかし私たちが御霊の満たしを求めて、本当に与えられるものなのか、といつも不安が

ありました。それは、私たちが何の取り得も無い、田舎の小さな教会であり、果たして使徒たちの

ように用いられるものとなるのかと不安でした。聖霊に満たされて、偉大な働きをしていった人々を

覚える時、おこがましく思えたからです。

しかし私たちは大胆にも、求め始めました。「主よ。空っぽの器に油を満たしてください。そして、聖書

の御言は今日もその通りになる事を、この春日井の地から全世界に証しさせて下さい。」と。

これはある意味で、身分不相応な祈りを始めたのかもしれません。けれども主は私たちを、この

エゼキエル書の御言を通して励まして下さったのです。



B では、御言から確信と励ましを頂きましょう。

主は言われます「イスラエルの家よ。私が事を行なうのは、あなたがたのためではなく、あなたがた

が行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。」と。


イスラエルは、神の選びの民であり契約の民です。神はアブラハムと契約を結ばれた時、切り裂か
    
もうきん
れた猛禽の間をご自身だけが通られました。それによって、その契約が一方的なものであり、アブ

ラハムの側にどんな不測の事態があったとしてもその契約は決して破られることはない、と明らか

にしておられました。ですから、唯一の真の神を知っていながら偶像を拝み、諸国の民の前で神の

名を汚したイスラエルの民であっても、滅ぼすことはなさいませんでした。それどころか彼らをあわ

れみ、回復しようと言われるのです。私たちも、アブラハムの子孫です。これまでの歩みの中で、

どれほど神の名を汚して来たことでしょうか。一時期は、神の恵みを放縦に替えるような方向へ

行ってしまったこともありました。ですから、決して神から覚えられるような者でもありませんし。

しかし、そんな私たちに対して神は、御霊の満たしを求めるように導かれ、言われます。

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。・・・わたしが事を行なうの

は・・・私の聖なる名のためである。」と。


私たちはこれまでの取り扱いによって、自分自身を義の器として神にささげるように導かれ、捨て

るべきものは捨ててきました。しかしまだ固いものがあり、自我の中にある者です。そんな私たちに

対しても、石の心を取り除き、新しい霊を授け、新しい心を与えると言われるのです。


C 私たちはこれまで、いろいろな取り扱いによって悩みの炉を通ってきました。

確かに、求め続けている間は苦難の時、産みの苦しみの時です。しかし神は、それらを全て超えて、

余りある霊的喜びの中に入れて下さるのです。

この約束を与えられている者として、ますます主を信頼し、願い求めて行きましょう。
  


                              ペンテコステ記念集会より




                               

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