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2024年5月5日

悪魔に騙されず、惑わされず、
御霊様の声を聞き、その判断に身を委ねる』

~ゲッセマネの祈り~

マルコの福音書 14:36


(起) マルコ14章36節「アバ、父よ。どうか、この杯をわたしから取り除けて下さい。しかし、

わたしの思いではなく、あなたのみこころのままになさって下さい」
と言われた、イエス様のゲッセ

マネの祈りの言葉から、悪魔に騙されず、また惑わされず、御霊の判断に身を委ねて、父に信頼して

歩んで行かれたイエス様
」から学んで行きたいと思います。


(承)さて、イエス様は、十字架の死が迫って来たその夜に、ゲッセマネの園で、その苦しい胸の内を

汗が血の(しずく)ように地に落ちる中で、苦しみもだえながら告白し、切に祈られました。しかし、

最後には「全能主の御心のままに」と祈り、起き上がって御自身の身を大祭司に渡されたのです。

この一連の流れの中で、サタンがイスカリオテのユダの中に入りました。そして、ユダはサタンに

騙されてイエス様を裏切ったのです。そこで、今日(きょう)「人の中にサタンが入るとは一体どういう

事なのか」
を、まず学んで行きたいと思います。


 本来の人間は、全能主の如く創造され、全能主は御自分の中にある(れい)(命)(たましい)(心)

を人間の中に入れられました。ですから、人間にはその霊魂(れいこん)「肉体」の中にあります。即ち、

人間には「霊と、魂と、体」があります(第Ⅰテサロニケ5:23)。しかし、サタンは「霊」と

「魂」を持っていますが、肉体はありません。すなわち、人間とサタンの違いは、人間には肉体が

あるという点です。
この肉体を持つ人間は、肉体という(たが)がはめられているため、その箍のために

霊の姿を見る事も、霊が住んでいる天の領域に行く事もできません。
どういう事かと言うと、聖書に

記されている通り、天には、[第一の天、第二の天、第三の天]があり、それぞれの天の間には、

超えることの出来ない壁
があります。その壁は、「全能主」と「イエス様」と「御使い」だけが超える

ことが出来ます。ということは、肉体を持った人間は、この肉体を持ったままで行く所でしか移動が

出来ないのです。すなわち、肉体で移動の出来る「地と宇宙の世界」が、
第一の天」と言われる

所です。次に第二の天」とは、「天から落とされた悪霊達がいる所」で、彼らは、空中の権を持つ

支配者として、地にいる者に今も働いている悪霊(エペソ2:2)
として、第一の天と第二の天の壁を

越えて行き交うことが出来ます。また第三の天」とは、「パウロさんが引き上げられた「天のパラ

ダイス」
(第二コリント12:2~3)の世界です
。」第三の天は、第二の天を通らねば成りません

ので、人間は肉体のままでは通れませんが、肉体を脱ぎ捨てた時に、霊魂の存在として御使いに連れ

られて行くことの出来る世界です。ですから、第二の天と第三の天は、肉体を持ったままの人間では、

決してそこに行く事も、見る事もできない世界です。しかし、第二の天にいる悪霊達は、第一の天に

来る事ができます。それは、彼らが肉体を持っていないので、肉体を持っている人間に対して、
肉体の

中に入って魂に影響を与えるために来るのです。
それが、ゲラサ人の墓場にいた男であり、イスカリ

オテのユダなのです。


  本来、一つの霊に対して一つの魂というのが基本です。それは、一つの霊に対して二つの魂、二つ

の心、二つの人格という事があってはならないからです。しかし、エバがサタンに対して心を開いて

受け入れた時から、人間の心の中に、サタンの心、いわゆる魔物の心が入りました。
ですから、私達は

いつも自分自身の声と魔物の声の二つが聞こえて来るのです。そこで、もし魔物の声を聞いてしまうと、

私達は冷静ではいられなくなり、ユダのように取り返しのつかない事をしてしまうのです。よく「魔が

差す」と言いますが、それは、魔物の声を聞いて、その通り行動する事です。それが、イスカリオテの

ユダの中にサタンが入ったということです。
普段は自分自身の人格(霊魂)によって魔物の声を抑え

込んでいますが、その魔物の声を聞いた時、自分の意志がその声に心を留めれば、悪に手を染めて

しまいます
。この魔物の声は「うっとうしい」ぐらいに、私達の中で自分の心の声のように働き、

「自分さえ良ければ」という自分中心な考えに捕われるように仕向けて、誘惑して来るのです。

しかも、魔物は私達を惑わすのが上手(うま)く、常に私達の心(霊魂)を乗っ取ろうとしてきます


この状況の中に置かれているのが、私達罪人の現実なのです。


(転)では、私達はその悪魔と、どのように戦って行けば良いのでしょうか。それは、内住の御霊様の

声を聞き、その御霊によって歩むことです。
聖書には「肉の性質に従う者は、肉的なことに心を向け、

御霊に従う者は、御霊のことに心を向けるのです」
(ロマ8:5)とあります。ですから、私達の

心(霊魂)が御霊の声に聞き従って行く時、悪魔の影響を断ち切る事が出来ます。先程、私達には

二つの人格があるとお話ししましたが、イエス・キリストを信じると、心の中に御霊様が入ります。

ですから、クリスチャンは、「自分自身」と、「魔物」と、「御霊様」の三つの人格を持つ事になるの

です。
御霊様は私達の人格を乗っ取るような事はなさいません。ですから、普段は控えておられます。

しかし、
魔物は私達の人格を常に隙あらば乗っ取ろうと働くのです。しかし、そんな悪魔に対して、

私達は自分の内にいる御霊の声を聞いて対抗出来るのです。御霊の声は、聞こうとすればいつでも

聞く事ができるからです。御霊様の声を聞く時には「御霊様、そのまま聞きますので、お語り下さい。

イエス様の御名によって祈ります」と祈ってから、聞き始める事が大切です。即ち、自分の自由意志を

もって自分の我を横に置き、御霊様の声を聞く意志を働かせるのです。すると、御霊様は、私達が

自分の意志で止めない限り、どこまでも語り続けて下さいます。それは、「机に座って集中しなければ

できない」というわけではありません。御霊様の声は、歩いていても、走っていても、車に乗って

いても、布団に入っていても、いつ如何なる時でも聞く事ができます。ですから、「何かおかしい。

この思いは聖書に基づかない」と気づいた時には、その思いをすぐに退け「御霊様、そのまま聞き

ますから、語って下さい」と言って御霊様の声を聞き、考えを切り替えて行くのです。
これが、悪魔

との戦い方です。
この戦いは、イエス様もなさいました。イエス様は十字架に向かわれる前、悪魔からの

攻撃を受けて苦しまれ、
「アバ、父よ。どうか、この杯をわたしから取り除けて下さい」と、御自身の

胸の内を告白されました。しかし、最終的には
「わたしの思いではなく、あなたの御心のままに

為さって下さい」
と言われたのです。これは、イエス様自身の内におられる御霊様の声掛けを聞かれた

からです
。イエス様は、その御霊様の導きに従い、父の御心の中に歩む事を決断されたのです。


私たちにも、この戦いが必要だという事です。


(結)どうか、悪魔にやられっぱなしにならないように、目を覚まして戦って下さい。「私たちの

戦いは、血肉に対するものではなく、諸々の支配と、権威と、この暗闇の世界の支配者たち、また天の

領域にいる悪の霊に対する戦いです」(エペソ6:12)
とある通りです。この戦いをしなければ、

いつまでも悪魔の影響力の中に置かれて、騙され続けて行く事になってしまいます。ですから、目を

覚まし、霊的な意識を働かせ、これはおかしいと判断したら、どんな時でも御霊によって祈るのです

(エペソ6:18)。どうか、悪魔に騙されず、また惑わされず、御霊様の声を聞き、御霊様の判断に

身を委ねて、歩んで行こうではありませんか。


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