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2023年7月30日

キリストによって新しく生まれた者は
「主に信頼せよ主が成し遂げて下さる」という歩みを始め出す

ヨハネの福音書 3:1~21


(起) ヨハネ3章3節の「新しく生まれる」とはどういうことかを学び、「イエス・キリストに

よって新しく生まれた者」であるなら、
クリスチャンとして「主に信頼せよ、主が成し遂げて

下さる」
という「新しい生き方を始め
出す事」を学んで行きたいと思います。

(承)さて、このニコデモとの対話の中でイエス様が一番語りたかったことは、「人は新しく生れ

なければ、全能主の国を見ることはできない」
ということです。ところが、ニコデモは、「もう

一度、母の胎に入って生れることができましょうか」
と質問したり、「どうして、そんなことが

あり得ましょうか」
と、疑問を持ったりしています。
そんなニコデモに対して、イエス様は「あなたは

イスラエルの教師でありながら、これぐらいのことが分からないの
ですか」と語られました。なぜなら、

新しく生まれるとは、旧約聖書の中にもダビデによって、甦りについては預言されており、言及されて

いたからです(詩篇16:10~11)。ですから、イエス様は「聖書を教えている教師
だったら、

人は死んでも甦るという理解を持っていても当然でしょう」
と言われたのです。そして、「その

ことを
知っているなら、『新しく生まれる』ということも理解して、当然ではないですか」と、指摘

されています。とは言え
、旧約で分かるのは、ただ「甦る」というところまでです。「新しく

生まれる」ということについては、新約で初めて
解き明かされていますので、その意味を見て行き

ましょう。
まず、ロマ書6章4節を見ますと、「私たちは、キリストの死の中にバプテスマされた

ことによって、彼と共に葬られたのです」
とあります。これは、私たちが「キリストを信じた時に、

私たちの古い人はキリストと共に死んだ者となった
」ということです。この真理は、アオリスト形に

よって表されています。また、6章4節の続きには、「キリストが死人の中から甦らされたように、

私たちもまた、死人の中から甦り、新しいいのちの中で歩むのです」
とあります。ですから、全能

主がイエス様を甦らせた時、
イエス様の中にバプテスマされていた私たちは、キリストと一体化されて

「イエス様と共に甦らされ、新しい命の中で歩む者とされた
」という真理なのです。即ち、「キリストの

救いに与った者は、生まれながらの自分をリセットして
もう一度新しく生まれることができる」

ということなのです。
イエス様の救いはアオリストですから、今現在、私たちが死を経験していなく

ても、既にイエス様と共に死んで、甦った者とされているのですから、キリストと共に新しい
歩みをする

ことのできる者とされているのです。
こんなありがたい話があるでしょうか。はっきり言って、

生まれ
持った能力には、一人一人に差があります。例えば、学校では暗記する能力がある人は良い

成績を残せ
ますが、暗記する能力を持ち合わせずに生まれた者は、テストの時には、当然ハンディ

キャップがあります。
しかし、これは私たちの責任ではなく、私たちの命を創られた方が、それぞれ

に特徴を持たせるために、同じ能力を与えなかったことによるのであって、それで優劣が付く訳では

ありません。しかし、この地上の価値観では、優劣を感じるでしょう。しかし、自分を卑下する

必要はありません。なぜなら、全能主の前では、生まれながらの能力の如何(いかん)では、人の価値は

定められず、みな平等だからです。なぜなら、全能主は、人それぞれの特徴に従って誰でも自由に

用いる事が出来るからです。また、人は、それぞれの特徴に従って全能主に仕えて行く為に、イエス

様の救いによって、生まれながらの自分をリセットして、新しい歩みの中で、全能主に仕えて行く

ことが出来るように、新しい道を整えられているのです。
その現実を今イメージして下さい。クリス

チャンは、「新しい命」を、今現在すでにもらっているのです。そればかりか、この後、私たちが

実際に命を閉じた後には、
キリストの再臨の時に、クリスチャンは再生された新しい御霊の身体を

頂くのです。この二つの特権を、
たちは今既に受けているということです。ですから、今この世に

あっても、イエス様を信じた者は、古い性質の中で生きて行くのではなく、新しい命をもらった者

として歩み出すべきなのです


(転)では、「新しい命をもらった者として歩み出す」には、どうしたらいいのでしょうか。それは、

ヨハネ3章21節にあるように、「人の歩みは、全能主にあって成されて行くもの」という生き方に

変えて行くことです。
すなわち、私たちの努力の成果は、全て全能主が成し遂げて下さったもので

あるということを、明らかにして
行く生き方をすることです。例えば、ジョージ・ミュラーさんは

「主に信頼せよ、主が成し遂げて下さる」ということを
信じて、その生き方を徹底し、2万人程の

孤児達を養い、教育し、世に出していきました。ですから、私たちも「主のみに信頼して、主に

成し遂げて頂く」という生き方が出来ると言うことです。
もし、「自分の能力の中で、自分が努力

して成果を出して行く」という生き方であるなら、私たちは生まれながらに敗北者となり、そこには


希望はありません。
しかし、私たちはそういう生き方をリセットし、全能主に全てをして貰うという、

新しい生き方が
できるのです。それは、「自分の能力、自分の努力で成果を出すのではなく、全能

主に信頼し、全能主が
成し遂げて下さった」という生き方の中で、実を表して行く生き方です。という

ことは、私たちは、生まれながらの自分の肉の性質から離れなければなりません。第Ⅱコリント5章17節

を見ると、「誰でもキリストにあるなら、その
人は新しく創造された者です。古いものは過ぎ去り

ました。見よ、すべてが新しくなったのです」
とあります。しかし、生まれながらの自分を見ると、

何も変わっていないので失望落胆をしますが、それはイエス様のアオリストの救いに与っている

自分を理解していない事が原因です。
この御言葉の指し示すところは、「私たちが、母の胎から

生まれた古い自分は既に過ぎ去り、全てが新しくなった」
ということを指し示している御言葉です。

即ち、私たちは、アオリストの救いに預かっている者の自覚を持って、残りの生涯を「全て、主が

成し遂げて下さる」という、新しい生き方の中で歩むようにするのです
。これは、全て自分の努力の

成果ではなく、全能主がして下さる成果の中で、歩んで行くことです。


(結)
私たちは、自分に頼らず「全能主に頼って生きて行くなら」、それが新しく生まれた者の生き方に

なって
行くでしょう。悪魔は、いつも私たちの古い命を訴えて、ごちゃごちゃ言ってきます。しかし、

いくら悪魔に()つかれ、訴えられようが、「生まれながらの自分はもう死にました」と言えば

いいのです。イエス様のアオリストの
救いは、今でも現実に効力があり、そのお陰で、私たちは

古い自分をリセットして、新しい歩みができるの
です。どうぞ、この救いにプライドを持って

下さい。
そして、イエス・キリストによって新しく生まれた者として、「主に信頼し、主が成し

遂げて下さった」
という生き方を始め出しましょう。


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