この映画のストーリーを通して、私たちはイエスキリストの身代わりの死の壮絶な戦いを
垣間見ました。それは ラストの台詞で、戦艦大和の設計者が語った言葉に背筋の
凍る感動を覚えたからです。それは、資源の少ない日本が勝てる見込みもなく太平洋戦争に
突き進んでいく中で、あえて世界最大の戦艦を造ろうとしたのか?その意図が衝撃的であった
からです。
それは、日本が日露戦争で味わった勝利を引きずって、国際連盟を脱退し、日本軍が獲得
した満州を欧米が狙っている中で、大和の設計者は戦争は避けられないものと考え、その戦い
を如何に止めさせるかを考えたのです。そこで、彼は日本人の誇りとなる世界最大の戦艦を
造り、その戦艦が壮絶な最期を遂げれば、戦争を諦めさせ、日本民族の滅亡を防げると考え
たのです。そして、その戦艦の名前を「大和」と命名し、「日本民族」の身代わりの象徴として
建造を発案したのです。
これは、人間の身代わりとなられたイエス様の死を彷彿とさせます。万物の上に立つ
絶対主が、人類の滅亡を阻止するために、いと高き方の子を「イエス」と命名し、人の体を
担わせてこの世に送り出し、罪の中に滅び去る人間の身代わりに立てられたこととが、重ね
合わされたのです。もしこのことが理解されたのなら、私たちは、絶対主との戦争は止める
べきです。戦争は絶対主に立ち向う反逆です。人間が創造主に対して勝てる見込みは一つも
ありません。それなのに、自分の力に頼って自分の勝利を捏造して立ち向かっていく
ことは、愚かなことです。
圧倒的な力の差がある戦いに、どうして人間は立ち向かうのでしょうか? それは、自分の
力に対する奢りが、私たちを掻き立て、無鉄砲な反抗に向かわせるのです。戦いを
続ければ、戦艦大和のように壮絶な最期を遂げるだけです。そこで私たちは、罪人に対する
イエス様の壮絶な身代わりの死を通して、絶対主に対する戦いを諦め、完全に無条件降伏
をするのです。日本も完全無条件降伏を通して救われました。ですから、私たちも同じよう
に、「砕かれた悔いし心」をもって遜り、滅びから救われる道を選択するのです。この救いを
経験したものは、二度と反旗を翻すべきではありません。命を閉じるまで、遜って
従い通すべきです。
これが、「大和」の映画を通して、私たちが絶対主に対する心として学ぶポイントです。
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