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2019年 NO.687


イエス様の完全な従属


 従属ということばの意味は、自分の考え、自分の判断を完全に相手に委ねることを

意味します。イエス様はヨハネ5章30節で言われています。「わたしは、自分から

は何事もすることが出来ません。ただ聞くままにわたしは裁きます。そして、わたし

の裁きは正しいのです。なぜなら、わたし自身の考えでするのではなく、わたしを

遣わされた父のみこころを行うからです。」また、14章24節では「あなた方が

聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしを遣わされた父の言葉です」と

言われました。ここで、イエス様は「ただ聞くままに」と言われているように、自分

の考えや自分の判断ではなく、絶対主の意向のままに聞いて行って行こうとする姿勢

を貫いておられます。なぜなら、絶対主は「絶対」であるからです。絶対とは「他に

並ぶもののないこと、また一切他から制限や拘束されないお方」ということです。

ですから、イエス様もロゴスとして、父を完全に絶対なる方として、完全従属されて

行きました。それなら、被造物である私たちは、自分の命は自分のものではないの

ですから、絶対主に従属して行くのは当然なことでしょう。ジョージ・ミュラーさん

は、その生き方を証しした方です。ですから、私たちも絶対主に対して自分の心を

明け渡すのです。すなわち、絶対主の判断は間違いないから、その言葉に素直に従え

ばいいということです。


 それなのに、その生き方を学んで来た私たちが何故出来ないのでしょうか。

その決心が未だに出来ないのは、自分を明け渡してしまったら、自分を守れない。

自分が隠し持っていた罪が全部あからさまになってしまい、汚い隠れた罪を全部知ら

れてしまうという恐怖心があるからです。しかし、私たちの隠れた隅々までの罪は、

絶対主に全部知られているのです。それが分かっていないのは私たちだけです。

絶対主は、私たちの生まれた時からの心の醜さ、卑怯な行い、人間が隠し通している

全てを全部知り尽くしておられます。しかし、そんな私たちでも、「絶対主に全部

明け渡して、自分の醜い心や隠し通して来た罪も全部明け渡して、お委ねして、

これからは絶対主のお言葉にお委ねして従って行きます」と、従属の意向を表すなら


絶対主は、その心を軽んじず、受け入れて下さり、私たちを絶対主の交わりの中に

入れて下さるのです
その方々が、今のRUMの方々です。私たちは、自分の背負って

いた罪を全部絶対主にオープンにした時、初めて平安が来るのです。そして、素直に

絶対主の意向に従って行こうとする心に変えられて行くのです。もう自分の汚い醜い

心を背負って、重荷を負って行く必要はありません。「全部知られている」という

事実に目を向けて、絶対主には心をオープンにして行くのです。これを始め出さ

ないと、本当の救い、イエス・キリストの贖いの恵みに浴することはできません。

もう全部「知り尽くしておられる絶対主」の前に、心をオープンにすると定めま

しょう
もう隠す必要はありません。あなたの重荷を全部主に委ね、絶対主の考え、

判断に全面的に信頼して、霊的にも肉的にも正直な心を、絶対主に差し出して行く

決断を勇気を持って始め出しましょう。私たちは蛇の頭で考えて行くのではなく、

絶対主の頭で絶対主の意向を汲み取って生きて行きましょう。

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