エデンの園で蛇が女を誘惑しました。蛇は女に向かって、「園にあるどの木からも
取って食べるなと、本当に絶対主が言われたのですか」と囁きました。すると
女は、「私たちは園の木の実を食べることは許されています。ただ、園の中央にある木
の実については、『それを取って食べてはいけない。また、触れてもいけない。あなた
方が死んではいけないから』と、絶対主は言われました」と。すると、蛇は女に言い
ます。「あなたは、決して死ぬことはありません。なぜなら、それを食べる日に、あなた
方の目が開け、絶対主のように善悪を知る者となることを、絶対主は知っておられるの
です。」そこで、女は賢くするように見えた木の実を食べ、夫にも与えました。すると、
二人は目が開け、自分たちの裸の恥を知り、死ぬ者となったのです。これが人類の陥った
罪の起源です。
この蛇は、すべての生き物の中で、最もずる賢く、悪知恵に満ち、人間を絶対主の戒
から背かせました。その罪の入り口は、人に疑いを抱かせ、人に不信の心を持たせて、
絶対主から自律させたところからです。人は、自律心を持つと、他人の声に耳を傾ける
ことをしません。すなわち、蛇の常套手段は、人が絶対主のことばに聞き従わなく
させることです。人の肉の性質は、「人の言われた通りしたくない」という「我」です。
この「我」は、「自分の思い通りにしたい」という思いを人の心の中に入れた悪魔の策略
です。この「我」は、人の心の底に染み着いており、相手構わず反発する人間の自由意志
だと勘違いしている罪の根です。ですから、クリスチャンでも自分の命の創造主に対し
て、「この心だけは明け渡したくない」という、自律する人間の最後の砦になってい
ます。しかしながら、絶対主に従って行きたいと思うなら、この最後の砦を明け渡さなけ
ればなりません。もし、絶対主に聞き従おうと願うなら、無条件で絶対主の言葉を心に
入れるヘリ下りが重要です。それを決断するためには、自分の内側から聞こえてくる
反発の心から離れることです。そして、この反発から離れるために、「反発の心を蛇が
入れ込んだものだ」と見抜くことです。残念ながら、この反発の種は除くことはできま
せん。しかし、「反発の心から離れる」という心の定めは、自分次第の決断で出来ます。
それが絶対主に仕えて行こうとする者の第一歩です。これまで、クリスチャンであって
も、自分の気持ち次第で簡単に心を閉じて来ました。それを「反発しない」と決める
ことは、本気の信仰に立つ決意から始まります。そして、自律の精神が当たり前になって
いた考え方から、全て絶対主に聞いて決断して行くと決めて始め出して行くという霊的な
生き方へ転換されて行かなければなりません。もし、絶対主に本気で従って行きたいと
思うなら、この心なくして、どうして、10万人教会、バイブルランド、ノアの箱舟教会
建設が成り立って行くでしょうか。今こそ、心の壁を砕いて、反発の心から離れ、絶対主
のために生きて行く一本道を始め出しましょう。もし自律を自分の心に持ち込めば、反発
の種は息を吹き返します。ですから、心して、自分の定めに従いましょう。そして、相手
の心に立って聞く心を養って行きましょう。そして、クリスチャンにとって反発の心から
離れる生き方がどんなに幸いか味わって行きましょう。今こそ、これがクリスチャンの
生き方であると確信し、始め出して行きたいと思います。
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