人は怒られると不機嫌になります。それは幾ら筋道の通った指摘であっても、自分が否定
されると感情を害するからです。人間の感情は厄介なもので、なかなか自分でコントロール
できず、人の言葉に瞬間的に反応し、自分の冷静な判断を失います。しかも、この感情には
魔物が働き、自分の非を認めようともせず、むしろ弁解がましく、他人を責めて自分を守ろう
とするのです。一般的に、この感情に魔物が働いているなどとは、誰しも気づいていないのが
現状です。しかし、自分の内から湧き上ってくる感情に魔物が働くと、反抗心が理由もなく
込み上げて来て不機嫌になり、冷静さを失うのです。この感情が治められないと、魔物の思う
壺にはまり、罪人が罪の奴隷となって絶対主に心を向けることが出来なくなってしまいます。
この感情に働く魔物こそ、人を罪の中に閉じ込めたサタンの仕業です。
ですから、クリスチャンは、感情に働く魔物の声を冷静に見抜き、罪から解放されて行く
べきです。そのためには、魔物の声を自分の声ではないことを知り、その声を意識的に退ける
のです。この退ける作業には、かなりのエネルギーと決断が必要になります。それは、この
魔物は、私たちの弱さに訴えかけ、我々の弱さを手玉にとって、人を思うままにもてあそぶ
からです。そして、絶対主にさえ反抗させヘリ下る方向に向けさせないようにするのです。
それが魔物の目的です。クリスチャンは、イエスキリストを信じただけの肉のままの罪人で
あることに変りはありません。ですから、私たちの弱さと罪深さを知っている魔物は、私たち
の過去を思い出させ、罪深い人間の現状に訴えかけます。その語り口は、「どうして、醜い
アヒルが白鳥の真似をして、義人振ることができるのか?たとえ感情を退けても、その感情を
持つお前が自分自身なのだから、いくら心を変えても邪な心は消えることはない。
無駄な 正義感を働かせても、すぐに剥がされて恥をかくのが関の山だ。格好付けるな」と
畳み込んで来ます。
そこで、この魔物を退けるのは、この声を聞いているその頂点の時に、
「私は、絶対主の側に立つ。お前がどんなに馬鹿にしようが、私は自分の責任を取る。私は
自分の罪の報いを受ける」と、絶対主の前に英断を下すことです。すると、魔物の声に影響
されて不機嫌であった自分が、打ち砕かれ、素直な心が絶対主の前に現れて来ます。この自分
こそが、絶対主の前にあって「砕かれた悔いし心」だと分ってくるのです。この時、いくら人
から罵倒されようが、絶対主から来る平安を失うことはありません。どうか魔物を退ける方法
は、怒られているその現場で、感情を引く自分の英断にかかっていることを覚えて下さい。
これがサタンと戦うクリスチャンの心であり、戦う秘訣です。また、絶対主の側に立つ英断が
信仰の勝利へと導いてくれるのです。
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