2019年3月31日
(起)黙示録13章から「今現在から、全能主の前に真剣な信仰の歩みの中で生きて行く」という
ことを学んで行きたいと思います。
(承)さて、私たちは黙示録を読みながら、自分の立ち位置がどこにあるのかを読み解いて行かな
ければなりません。まず、7章の終わりまではアウトラインとして書かれていますので、本編は8章
からです。8章に入ると、第七の封印が解かれ、御使いたちによって七つのラッパが吹かれます。
すると、様々な災いがこの地に起こってきます。第5のラッパまでが、第一の災いです。
そして、第6のラッパから、第二の災い、11:15節の第7のラッパから、第三の災いについて
記されています。この第三の災いの具体的な内容が、今日お読みした13章に記されています。
そして、ここからが患難時代の後半の3年半が始まります。13:7節を見ますと「獣は、聖徒に
戦いを挑んで、これに勝つことを許され、すべての部族、民族、諸国語、民を支配する権威が与え
られた」とありますので、ここでは聖徒たちが殉教して行くことが明確に記されています。
また、13:11節を見ていきますと、地から上ってくるもう一つの獣が出てきます。これは、
19章に記されている偽預言者であることが分かります。彼は、すべての者に右の手か額に獣の印で
ある666の刻印を受けさせ、刻印のない者は売ることも買うこともできないようにします。
そこで、もし刻印を押してしまえば、その者は、「全能主の怒りの杯に、混ぜ物なしに盛られた、
全能主の激しい怒りのぶどう酒を飲まされる。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄と
で苦しめられる」と書いてあります(14:10)。ということは、私たちクリスチャンにとっては、
患難時代の後半の3年半からは、獣によって苦しみの中に置かれるということです。しかし、
「主にあって死ぬ者は幸いである」(14:13)とあるとおり、私たちは獣の前に出て、
はっきりと主を信じる信仰を表し、死に至るまで忠実であるならば、殉教することによって「勝利を
得る者」として聖なる都の中に入れられるのです。これが私たちの目指す生き方です。
(転)では、私たちが獣の前に出てはっきりと主を信じる信仰を表し、命を差し出すために必要な
心とは何でしょうか。少なくとも、今現在、ちょっと怒られたくらいで、直ぐむくれて腹を立てる
ようでは、患難時代で死に至るまで忠実な生き方は出来ません。患難時代では、実に激しい困難が
降りかかってくるからです。私たちクリスチャンは、徹底的にこの世から疎外され、食べる物も
与えられず、人間として生きて行くことが許されない状況に置かれてしまいます。その時になれば、
「自分はキリッと信仰に立てる」と思っていたら大間違いです。今現在から、殉教者の立場、殉教者
の心を持って全能主の前に歩んでいかなければ、その時になったら、臆病風に吹かれて苦しみから
逃げだそうとしてしまいます。聖書ではアオリスト形という文法が使われていますが、このアオリ
スト形というのは、過去形を表す時制で、ギリシャ語の文法では「現在の状況如何に関わらず、
自分にとって既に 過去に起こった事実」として書かれています。ですから、黙示録に記されている
内容についても、そのように理解して行くべきです。すなわち、今現在の私たちはまだ患難時代に
入っていませんが、その中を通っていく立場の聖徒として、常にその当事者として生きて行く必要が
あります。「今、まだ自分は苦しみを味わっていないから、大丈夫だ」と思っていてはならない
ということです。むしろ、現在の状況がどうであろうが、私たちが患難時代を 通って行くのは
間違いないことで、それはもう過去のことのように決まっていることなのです。だから、私たちは
今正に患難時代を通っているという意識の中での生き方をし、生きている全能主と直接結び
ついた信仰を表して行かなければなりません。今の私たちには、その信じる心に基づいた行動が
必要なのです。
(結) 私たちは、聖なる都の中に入れられる「勝利を得る者」として選ばれ、その立場に置かれ
ている者です。その立場を今、「自分の目で確認し、また、その立場を味わい知れたら、そうして
行きます」という、他人事のような覗き見信仰ではいけません。第三者の意識は捨てて、
聖なる都に向かっていく当事者として、信仰の世界に飛び込んで行くべきです。具体的に、自分自身
に降りかかってくる嫌なこと、怒られることに対して、いちいち反抗的な心を抱くのではなく、
どこまでも心を開き、へりくだって全能主に従って行く心を実生活の中で表して行くのです。
その心が、これから私たちを世の終わりの集大成の働きに用いようとして下さっている、全能主の
御心に沿うことです。どうか、「その時が来たらやります」ではなく、今現在、全能主の前に真剣に
信仰の証しを残して行く意識の中で生きて行こうではありませんか。 |
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