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2019年3月24日
全能主に信頼する心

ヨハネの黙示録6:9~11、7:9~10、13~17


(起)これから患難時代を通って行くことを踏まえて、「感情に働く悪霊の声を退け、イエス・キリ

ストを信じる信仰と、全能主に信頼する心をはっきりと表して行く」ことを学んで行きたいと思い

ます。

(承)さて、9節を見ますと、「全能主の言の故に、また、自分たちが堅く守り続けてきた小羊の

証しによって殺された人々」とあります。これは殉教者たちのことです。彼らには、一人一人に

白い衣が与えられます(11節)。そして、その白い衣を着た殉教者たちがどのような幸いに預かる

かということが、7章に書いてあります。14~15節を見ますと、「彼らは大きな患難を通って

来た人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くした者である。だからこそ、彼らは、

全能主の御座の前におり、昼も夜も聖所で全能主に仕えているのである」とあります。

彼らは、イエス・キリストを証し、最後まで信じ通したことによって「小羊の血による罪の贖いに

預かり、自分の真っ黒な罪を洗われて白くされた」ということを現実に味わい、全能主の御座の前に

いる人々です。彼らには御座の正面におられる小羊が、いのちの水の泉に導いて下さり、全能主が

自ら彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるのです。そして、全能主は彼らの目から涙をことごとく

拭い取って下さり、もはや飢えることもなく、渇くこともなく、太陽も どんな炎熱も、彼らを

決して打つことはありません。(7:16、17)彼らは、イエス・キリストを最後の最後まで

信じ通したので、この幸いを受けたのです。私たちもこれから患難の中を通って行きますが、最後の

最後まで全能主に信頼し、イエス・キリストを信じる信仰を持って行くなら、このような全能主と

の交わりの中に入って行くのです。これが私たちの目標であり、また私たちが創られた本来の

価値です。こうして、
全能主はこんな私たちをご自分の子とし、永遠の世界の中で、御自身との

交わりに入れて下さるという壮大な計画を実行されました。これが全能主の集大成なのです


(転) ところが、この全能主の計画を潰そうとしているのが、ルシファーとその使いである悪霊

たちです。ルシファーは、天でミカエルたちとの戦いに敗れ、天にいた天使たちの3分の1を引き

連れて、地に投げ落とされました。自分が地に投げ落とされたと知ったルシファーは、全能主の

御子であるイエス・キリストがこの地上に生まれたらすぐ殺そうと考えましたが、全能主の手に

よって、イエスの母マリヤと幼子イエスは守られました。そして、イエス・キリストはこの地上で

33年間過ごされ、救いを成し遂げられた後に天に帰って行かれました。そこでルシファーは、

自分がこのような目に遭わされたことに対する怒りを女(マリヤ)の子孫、すなわちイエス・キリ

ストを信じたクリスチャンたちに向けたのです。ルシファーとその使いである悪霊たちは、自分たち

が地に落とされたことの腹いせに、クリスチャンたちを地獄に落とそうと働きます。どのように

働くかというと「お前はこれまで信じると言いながら、ほとんど信じていないような生き方をして

きたではないか。そのようなお前たちが、本当に救われると言い切れるのか。

 もし全能主を信じると言えば、患難時代にお前たちは大変な試練に遭うぞ」と脅し、不安を与え

ます。すなわち、悪霊は私たちの感情に働いて、全能主の前に素直な信仰を持たせないようにする

のです。そして、私たちの主に信頼する心を奪い、不信仰な思いを与え、背信の方向に向けさせ

ます。しかし、私たちはこの策略にはまってはいけません。魔物の声が聞こえてきたら、すぐにそれ

を否定し、イエス・キリストを信じる者として、全能主に信頼する心をはっきりと表して行くの

です。患難時代に入ると、ルシファーは666を使ってこの世界を支配し、666に従わなければ

売ることも買うこともできないように支配します。ところが、私たちクリスチャンは、「666には

従いません。たとえ命を失うことがあったとしても、私たちはイエス・キリストを信じ、全能主を

信じます」と、その証をルシファーに突き付けるのです。これが、勝利を得る殉教者の証です。


(結) このように、ルシファーは、私たちの感情に働き、全能主を信じさせないようにする魔物の

声であることが、これで明確に理解できたはずです。ならば、もうこれ以上魔物の声に従ってはいけ

ません。例えば、私たちが怒られたとき、「恥をかきたくない。怒られたくない」という私たちの

感情に悪霊が働き、「格好つけるな。ここで謝っても、また同じことをやるぞ」と囁いて、私たち

を全能主から離れさせ、私たちが自分の過ちを素直に認めて謝ることを妨げ、背信させようと

します。しかし、私たちはその魔物の声を否定し、
素直に自分の過ちを認めて行く「へりくだった

悔いし心」を表して行くのです。全能主はその心を蔑まれません。
どうか、この戦いを勇気を持って

始め出しましょう。これからの患難時代の中にあって、私たちが信仰の証をするためには、この戦い

が必要不可欠です。感情に働く悪霊の声を退け、「聖徒の忍耐は、ここにあり」とあるように、

イエス・キリストを信じる者として、全能主に信頼する心をはっきりと表して行こうではありま

せんか。 


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